「食育」と言いながら子どもの味覚を無視する報道の誤解──千葉の家庭から考える本当の食育


近年、テレビやネットニュースでは「食育」をテーマにした報道が増えています。しかし、実際の家庭の現場を知らずに、数字や理論だけで「子どもはこうあるべき」と断定する論調には、違和感を覚えざるを得ません。千葉のある家庭での一幕を例に、報道の偏った情報と現実の食育のギャップについて考えてみます。


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私の家庭では、1歳と2歳の子どもがいます。偏食はほとんどなく、基本的に用意した食事は何でも食べるタイプです。もちろん、好き嫌いや口に合わないものがあれば無理強いはしません。ところが、メディアでは「子どもは嫌いなものも克服すべき」「親は完璧な食育を実践すべき」といった言説が幅を利かせています。このギャップが、親たちに不必要なプレッシャーを与えているのです。


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今日の食卓には、塩をかけただけのキャベツサラダが出ました。大人から見ればあまり魅力的な一品ではありませんが、子どもは興味津々で私を見つめます。「食べたい?」と聞くと、「ちょーだい」と答えるので「一口だけね」と渡しました。子どもは少し戸惑った顔をしましたが、口に入れると「美味しい」と返しました。この小さなやりとりが、報道ではほとんど取り上げられることはありません。


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報道の多くは、栄養学的な正しさや教育理論だけを強調します。「生キャベツなんてまずいはず」と決めつけたり、「嫌いなものを克服させなければならない」と煽ったりする記事が目立ちます。しかし、家庭の現実はもっと柔軟で多様です。子どもは親の姿勢を見て学びます。親が「美味しいね」と笑顔で食べる姿勢を示すことが、味覚や食への興味を育てる本質なのです。


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私はキャベツを食べさせた後、「今日はこれしかないけど、次はもっと用意するね」と声をかけました。無理に食べさせず、次の機会を用意しておく。この対応こそが、子どもに「食べ物は安全で楽しめるもの」という感覚を植えつける行為です。報道でよく見かける「完璧な食育の押し付け」とは対極にある、現場のリアルな工夫です。


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また、子どもは決して親の単なる写し鏡ではありません。しかし、親が食卓で見せる態度や言葉遣いは、確実に子どもの心に影響します。「嫌いでも無理強いされる」と感じる食卓では、食への抵抗感が芽生えます。一方で、楽しみながら食べる姿を見せれば、自然と興味が広がるのです。この点は、栄養や理論だけに偏った報道では伝わりにくい部分です。


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千葉の家庭から見えてくるのは、食育とは「何を食べさせるか」よりも、「どう向き合うか」が大切だということです。子どもが好き嫌いなく食べるかどうかは、あくまで結果であり、手段ではありません。報道で強調される「嫌いなものを克服する食育」という一面的な情報に惑わされず、現場では日々の小さなやりとりが本物の学びを作っているのです。


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子どもが「美味しい」と言った瞬間、親子の間に笑顔が生まれ、食べ物への肯定的な経験が積み重なります。これが、理論や統計だけでは語れない、現場ならではの食育の価値です。報道が描く「完璧な食育」像に縛られることなく、家庭での柔軟な取り組みを認める視点が必要です。


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塩だけのキャベツサラダを通して見えてくる、千葉の家庭での食育の現実。嫌いなものを無理に克服させるのではなく、楽しみながら食べる経験を積むことが、子どもにとって最も自然で有効な学びです。報道が伝えない現場の工夫と柔軟さこそが、真の食育であると私は考えています。子どもと一緒に「美味しいね」を重ねる日々こそ、未来の食への好奇心を育む土台なのです。

川滿憲忠

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