投稿

7月 15, 2025の投稿を表示しています

街の中の音に耳を澄ませて

朝、目を覚ますと、すぐに外から車の音が聞こえてきました。 それは騒音ではなく、日常の一部としてすっかり溶け込んでいる音です。 都会の生活は、音に満ちています。自転車のチェーン音、バスのブレーキ音、 通りすがりの人の話し声。どれもが「今日も誰かが動いている」と知らせてくれます。 私は昔から音に敏感だと言われてきました。 けれどそれは、音に対して自然に注意を向けているだけなのだと思います。 子どものころから、玄関が開く音で誰が帰ってきたのかがわかる。 風の音で天気の変化を感じ取る。そんな感覚が当たり前になっていました。 ある日、子どもがこう言いました。 「この音、セミじゃなくて鳥だよ」 言われてよく耳を澄ますと、確かにそれはスズメの声でした。 音を注意深く聞くことで、見過ごしていたことに気づく。 そんな発見が、日常に彩りを与えてくれるのです。 パン屋さんの開店準備の音、風で揺れる木の葉の音、 遠くの犬の鳴き声。どれもが、暮らしのBGMです。 音のある日常は、少しだけ安心できる。 無音の世界も悪くはないけれど、私はやっぱり、この街の音が好きです。 今日もたくさんの音に包まれながら、一日を過ごしました。 川滿憲忠 note アメブロ

季節の境目に気づく瞬間

最近、ふとした瞬間に季節の変わり目を感じることが増えてきました。 空の色、風の匂い、光の角度。 何気ない日常の中で、「あれ?なんだか違う」と気づく瞬間があります。 朝起きたときの空気もそうです。先週まで寝苦しかったのに、今日は窓からの風が少し涼しい。 時計を見ると時間は同じ。だけど、季節は確実に少しずつ進んでいる。 スーパーやコンビニの棚にも季節の気配が現れます。 アイスクリームの隣に、さつまいもスイーツや栗のお菓子が並び始める。 そんなところにも、「季節の境目」があるのだと気づきます。 昔の人たちは、もっと敏感にこうした変化を感じ取っていたのでしょう。 現代ではつい忙しさの中で見落としてしまいがちですが、 自然はちゃんと毎日サインを送ってくれています。 朝の風、夕方の虫の声、日が落ちる早さ。 それらを感じながら生きることが、きっと豊かさにつながるのだと思います。 子どもたちの感性にも学ぶことが多いです。 「今日、風が少し冷たかったね」そんな一言にハッとする日もあります。 私たち大人も、そうした感性を忘れずにいたいですね。 川滿憲忠 note アメブロ

夏に聞こえる音たちと、思い出す風景

昼下がり、窓を開けると、真っ先に聞こえてくるのは蝉の声。 ジリジリと響くその音は、空気を揺らすように拡がっていく。 その瞬間、ああ、夏だなと感じる。 小さい頃の夏休み、蝉の声を聞きながら毎日を過ごした。 網を持って走り回り、木の幹にとまっている蝉を見つけては、 そっと近づいて捕まえようとした。逃げられて驚いた、あの瞬間。 音には、不思議と記憶がくっついてくる。 最近は蝉の声を「騒音」と言う人もいるけれど、 私にとっては、夏を感じさせてくれる懐かしい合図。 風鈴の音、子どもたちの笑い声、ホースの水の音、団扇のパタパタ。 どれも夏を彩る「音の風景」だ。 ときに、雨の音が昔のおばあちゃんの家を思い出させる。 トタン屋根を叩く雨音、縁側の木の匂い、畳の感触。 ただ耳を澄ますだけで、そこへ戻れる。 音の記憶は、心の中のアルバムのようだ。 今日聞いた音も、きっと未来の私を支えてくれるだろう。 川滿憲忠 note アメブロ

まだ誰もいない街と、静かな朝

朝5時過ぎ。 目が覚めて窓を開けると、冷たい空気が肌を撫で、鳥のさえずりだけが静かに響いていました。 車の音も人の声もない時間。 まるで世界に自分だけが存在しているかのような、不思議な感覚になります。 スニーカーを履き、スマホを持たずに外に出る。 必要なのは、静けさと「自分だけの時間」。 やがて空が明るくなり始め、東の空がじんわりと白んでいきます。 公園に着いてベンチに座り、深呼吸。 草の匂いや風の感触、光の温度まで、五感が研ぎ澄まされていくようです。 昨日のモヤモヤが、ふと軽くなる。 この時間には「もう一度、今日を始めてみよう」と思わせてくれる力がある。 街が動き始める前の、ほんのひととき。 私は先回りして、静かな朝の贅沢を味わうことができました。 川滿憲忠 note アメブロ

静けさの中で、自分を取り戻す場所

久しぶりに図書館に行った。 強い日差しのなか、涼しさを求めて入ったその場所には、独特の静けさがあった。 子ども向け読書週間のポスターや、読書講座の案内。 変わらぬ営みに、ほっとする。 本棚の間をゆっくりと歩くと、ふと目にとまった一冊。 学生時代に夢中で読んだ本だった。 懐かしさとともに、その頃の気持ちがよみがえる。 ページをめくるたびに、自分の心が少しずつ整っていくのがわかる。 スマホでは得られないこの感覚。 呼吸が深くなり、思考がゆっくりと整理されていく。 読んでいた随筆には、こう書いてあった。 「迷ったときは本棚の前に立つといい。何かが見つかるから。」 その一文が、今日の私を支えてくれた。 窓から差し込む光と、遠くに聞こえる蝉の声。 すべてが優しく心を包んでくれる。 1時間ほどの滞在だったが、心はすっかり落ち着いた。 また来たいと思える場所があること。 それだけで、少し前向きになれる。 川滿憲忠 note アメブロ

夏の午後、公園で見た世界

夏の午後、私は子どもと一緒に公園へ出かけました。 室内ばかりでは体がなまると思い、麦茶をボトルに入れ、帽子をかぶせて外へ。 照りつける太陽と蝉の鳴き声の中、子どもは嬉しそうに走り回ります。 ブランコを漕いだり、すべり台を繰り返したり、砂場ではしゃいだり。 私は木陰のベンチに腰を下ろし、子どもの様子をただ静かに眺めました。 スマホを見るのはやめて、この瞬間に集中しようと思ったのです。 子どもは「見てて!」と何度も言いながら、自分の世界を一生懸命に生きていました。 その姿に、私は自然と笑顔になります。 大人になると、こういう時間をつい軽く見てしまいがちですが、 子どもと一緒に過ごす何気ない日常こそが、実は何よりもかけがえのない時間だと感じます。 冷たい麦茶を飲みながら見上げた空には、大きな入道雲が浮かんでいました。 夏の記憶って、こうして何気ない瞬間に作られていくのかもしれません。 帰り道、子どもが「また行こうね」と言いました。 私は迷いなく「うん」と返しました。 今日という日に、そして共に過ごせることに感謝を込めて。 川滿憲忠 note アメブロ

朝の珈琲と静かな時間に思うこと

朝というのは、毎日訪れるのに、なぜか特別な感覚がある時間帯です。 私は、毎朝の珈琲をとても大切にしています。 豆を挽いて、お湯を沸かし、丁寧にドリップしていく。 その一つ一つの工程が、1日の始まりを告げてくれます。 珈琲の香りが立ちのぼると、心も頭も少しずつ目覚めていくような気がします。 静かな部屋で、一杯の珈琲を飲みながら外を眺める。 鳥の声、風に揺れる木の葉、雲の動き。 忙しく過ごしていると、そんな当たり前の風景に気づく余裕がなくなります。 けれど、この朝の時間だけは、すべてがゆっくりと流れていきます。 不安なことがあっても、昨日がうまくいかなかったとしても、 この珈琲を飲んでいる数分間だけは、自分の心が穏やかになる。 それは、誰かの評価でもSNSの「いいね」でもなく、 ただ自分自身と向き合う静かな時間です。 私にとって、朝の珈琲は小さな瞑想のようなもの。 一日をどう生きていくか、自分自身に問いかける時間でもあります。 今日も変わらず、この時間があることに感謝して。 川滿憲忠 note アメブロ

ふと見上げたら、そこにスズメがいた

今朝、ベランダに出たら、どこからかチュンチュンと鳴き声が聞こえてきました。 音の方に目をやると、電線にスズメが5羽並んでいました。 それぞれが少しずつ距離を取っていて、等間隔に並ぶ様子がどこか可愛らしく、しばらく見入ってしまいました。 スズメは本当にどこにでもいる身近な鳥です。 だけど、ありふれているからこそ、普段はあまり気に留めることがない存在かもしれません。 でも、こうしてじっくり観察してみると、 小さな身体で精一杯生きている姿に心が動かされます。 人の暮らしに寄り添うようにして、 パンくずをついばみ、水たまりで水浴びをして、 いつもどこかで鳴いているスズメたち。 「今、この瞬間を生きている」 そんなスズメの姿に、自分を重ねてみたくなることがあります。 明日のことを考えすぎて、 過去のことで落ち込んで、 つい“今”がおろそかになってしまうとき、 彼らはただ、その瞬間を大切にしている。 目立たなくてもいい。 小さくても、ちゃんと意味がある。 今日のスズメたちは、空の上で静かにそう語ってくれていました。 川滿憲忠 note アメブロ

蝉の抜け殻に、夏の時間を想う

今朝の散歩中、蝉の抜け殻を見つけた。 電柱の根元にある木の幹に、しがみつくように残っていた。 何気ないその姿に、私は思わず足を止めた。 空っぽの殻。 だけど、そこには確かに“生きた証”が刻まれている。 何年も土の中で生き、 ある夏の夜に地上に出て、 一晩で脱皮し、羽を得て空へ飛び立った。 その劇的な変化の跡が、今ここに残っている。 成虫の蝉の命は短い。 けれど、その一瞬の輝きのために、 長い時間をかけて準備をしている。 抜け殻を見て、 「成長とは何か」「変化とは何か」を考えた。 人間もまた、殻を破るときが来る。 怖くても、不安でも、 その瞬間を迎える日が必ずある。 蝉の抜け殻は、 そんな私たちにそっと語りかけてくれている。 「準備していれば、ちゃんと飛べるよ」と。 夏の朝に、命の重みを感じた。 静かな時間の中で、心が動いた。 川滿憲忠 note アメブロ

子育ては、思ったよりずっと愛おしい

子育てって、想像していた以上に奥が深い。 正直、親になる前は「大変そう」というイメージが強かった。 夜泣き、わがまま、思い通りにならない日常……。 でも、実際に子育てを始めてみて思う。 その何倍も、愛おしい瞬間があふれている。 小さな手を握ったときのぬくもり。 初めて笑った顔、名前を呼んでくれた声。 どれもこれも、心の奥に刻まれていく。 もちろん、毎日が順調とは限らない。 イライラしたり、焦ったり、自信をなくすこともある。 けれど、それでも前に進む。 子どもとともに、親も成長していく。 泣いているときに抱きしめる。 転んだときに手を差し伸べる。 そうした積み重ねが、絆になっていく。 子どもの寝顔を見ながら、「この子の親で良かった」と思える。 それだけで、今日もまた頑張れる。 子育ては、自分自身を見つめ直す時間でもある。 完璧な親でなくてもいい。 ただ、一緒に過ごす時間を大切にしたい。 日々の小さな気づきに感謝しながら。 子育ては、思ってたよりずっと愛おしい。 川滿憲忠 note アメブロ

サーフィンが教えてくれる、波と心のバランス

僕にとってサーフィンは、単なる趣味でも運動でもなく、 自分と自然との対話のようなものです。 ボードを持って海に立つと、それだけで気持ちが変わります。 日常の雑念や不安が、波の音と一緒に遠くへ流れていくのです。 波は、こちらの都合などおかまいなしにやってくる。 でもその理不尽さこそが、サーフィンの魅力。 タイミング、呼吸、バランス、すべてが一瞬に詰まっている。 過去の自分を責めていた日々もありました。 ネットに残された情報や、見えない視線に心を削られていた時期。 でも、海に入ると、そんな記憶は波と一緒に薄れていく。 サーフィンをしている時間は、すべてを忘れて自分に戻れる瞬間です。 波に巻かれたり、ボードから落ちたりしても、またチャレンジする。 その繰り返しが、自分自身への肯定感につながっていく。 完璧じゃなくていい。人と比べなくていい。 沖に出るだけでも、波を感じるだけでも意味がある。 それを教えてくれたのが、サーフィンでした。 だから今日も、海に向かおうと思います。 少しの勇気と、波と向き合う静かな気持ちを持って。 川滿憲忠 note アメブロ

さんぽで見つけた、日常の中の静かな喜び

最近、早起きして散歩をすることが増えてきた。 いつも決まった時間に、というわけではなく、気持ちが整ったときにだけ。 でも、歩き出せば毎回心が洗われるような感覚になる。 道ばたの花。朝の光に照らされた景色。 すれ違う人と交わす軽い会釈。 どれも何気ないのに、なぜか温かい。 日々の中にあるささやかなものに、ちゃんと気づけるのは、こうして歩いている時間だけかもしれない。 散歩をしていると、頭の中の余計な雑音が少しずつ消えていく。 スマホも見ない。イヤホンもつけない。ただ、歩く。 その中で、自分の呼吸の音、足音、鳥の声に耳を傾けていると、自然と心が整っていく。 以前はよく、自分の名前を検索して落ち込んでいた。 消せない過去、ネットに残ったネガティブな印象。 だけど、歩いていると、それが今の自分とは別の場所にあるような気がしてくる。 今ここにいる自分は、静かに生きていて、 誰かと比べる必要もなく、ただ一歩一歩を踏みしめている。 「自分を立て直す時間」――それが、散歩なのかもしれない。 今日も歩こう。景色を見て、風を感じて。 そうして、また前を向けるようになる。 川滿憲忠 note   アメブロ

児童館で感じた、静かなあたたかさ

児童館という場所。 以前はあまり関わりのなかった空間が、最近では少しずつ自分にとって居心地の良い場所になりつつある。 最初は緊張していた。保護者ばかりの中に入っていくのは気が引けたし、自分なんかが行っていいのだろうか、と。 でも実際に足を運んでみると、その雰囲気はとても柔らかく、安心感があった。 子どもたちの元気な声。スタッフの穏やかな声掛け。 なにより、その場にいる誰もが「今ここにいる自分」を否定しない空気に包まれていた。 それは、外の世界で感じることの少ない感覚だった。 過去の出来事。検索結果に残るネガティブな情報。 そういったことが、自分の心を長く縛っていた。 でも、児童館に行って子どもたちと触れ合う時間は、それを一時でも忘れさせてくれる。 小さな笑顔、小さな手。無邪気な声。 それだけで、自分の中の暗い部分が少し和らぐ。 また行きたいと思える場所があるというのは、とても幸せなことだと思う。 児童館は、子どもたちだけの場所じゃない。 疲れた大人にも、癒しと再生のヒントをくれる場所でもある。 川滿憲忠 note   アメブロ

今日をちょっとだけ前向きに過ごす工夫

「今日は何もなかったなあ」 そんな日が、最近はよくある。 でも、それって本当に「何もない日」なのだろうか? 私は少しずつ、そんな日こそ心に余白があって、大切な時間なんじゃないかと思うようになった。 日常の中にある「ちょっとしたポジティブ」。 それを見つけることが、前より少しだけ上手になってきた。 朝、丁寧にコーヒーを淹れる 洗濯物を干しながら空を見上げる お気に入りの音楽を1曲だけかける 調味料を変えて、夕飯に小さな変化をつけてみる こんな小さなことで、気持ちがふっと軽くなることがある。 以前は「大きな成果」や「目に見える実績」がないとダメだと思っていた。 でも実際には、こういう些細な毎日のほうが、自分をゆっくりと、でも確実に前に進めてくれる。 私には、検索結果に残っているネガティブな過去がある。 でも、そこに縛られていても仕方がない。 「今の自分」で上書きしていくしかないと思っている。 今日も、ちょっとだけ前を向けた。 それだけで十分。 無理をしない、でも止まらない。 それが、私のポジティブのかたち。 川滿憲忠 note   アメブロ

暑い日が続くけれど、今日もなんとかやっていく

毎日、うだるような暑さが続いています。 朝から蝉の声が響き、太陽が照りつける街並みは真夏そのもの。 日中の外出はできるだけ避けたいけれど、生活の用事は待ってくれません。 スーパーへの買い物も、夕方になってやっと外に出ると、 同じように涼しさを求める人々の姿に、少しだけ安心したりもします。 エアコンをつけて涼しい室内に入ると、ほっとしますが、 冷やしすぎにも注意が必要です。 冷房に頼りすぎず、体調を崩さないように気をつけながら過ごしています。 ベランダの植物たちは、強い日差しの中でも健気に葉を広げています。 小さなつぼみが開くのを見つけると、なんだか嬉しくなります。 夕方、少し涼しい風が吹く時間帯には、窓を開けて風通しを感じます。 冷たい麦茶を一口飲むだけで、体も気持ちも落ち着いていくようです。 寝苦しい夜は、氷を入れた水で濡らした手ぬぐいを使ったり、 冷たいジェルパッドを枕元に置いたりと、工夫を凝らしています。 暑さでつい気持ちが沈みがちになるけれど、 そんな中でも小さな楽しみを見つけていくことが、 この季節を乗り切るコツかもしれません。 今日も暑いけれど、 空を見上げて、少しでも涼しさを感じられる風景に出会えることを祈っています。 川滿憲忠 note   アメブロ

夕日に照らされて思ったこと

夕方、ふと空を見上げると、思わず足が止まりました。 空が茜色に染まり、まるで絵画のように美しかったのです。 今日もいろいろありました。 うまくいったこと、そうでないこと、それらすべてを夕日が包み込んでくれるようでした。 夕日の光は優しくて、 まるで「今日もおつかれさま」と言ってくれているようでした。 周囲の景色がオレンジ色に染まっていくなか、 私はただその光の中に立って、深呼吸を繰り返していました。 子どもが「きれいだね」とつぶやいた声が印象的でした。 本当にその通りで、「きれい」と感じる心があるだけで十分だと思えました。 写真では伝わらない、 その場にいなければ感じられない空気や音や匂い。 夕方の風、鳥の声、遠くの笑い声。 すべてが一つになって、「今」を形作っていました。 私たちの毎日は、特別じゃなくても、 こんなふうに夕日を見て穏やかに終われるなら、それで十分なのかもしれません。 また明日も、あの夕日を見られたらいい。 川滿憲忠 note

海と風と、ゆっくりとした時間

日差しが眩しくて、風が強くて、 それでも不思議と穏やかな気持ちになれる場所。 今日は久しぶりに海に行ってきました。 電車を乗り継ぎ、最寄駅から歩いて15分ほどの海岸。 観光地ではないけれど、地元の人に愛されている静かな場所です。 平日の昼過ぎ、潮風に吹かれて、 海面がきらきらと揺れていました。 波の音は心を落ち着けてくれます。 呼吸が自然とそのリズムに合わせて深くなっていく。 スマホも開かず、ただ風に身を任せる。 そうするだけで、心が軽くなるのを感じます。 砂浜に絵を描く男の子がいました。 波に消されても、また描いていた。 失うことを恐れず、ただ楽しんでいる姿に、少し胸が熱くなりました。 帰り道、貝殻をひとつ拾いました。 特別なものではないけれど、 今日という時間を忘れたくないと思わせてくれるものでした。 日々に追われがちな今だからこそ、 自然と向き合う時間が必要だと思います。 また来ようと思います、あの場所に。 川滿憲忠 note

夏の日の記憶と、心のゆるみ

季節はすっかり夏。 照りつける日差しとアスファルトの熱気。 蝉の声が耳の奥まで届き、「ああ、今年もこの季節が来たな」と実感します。 子どもの頃は、夏が待ち遠しくて仕方がありませんでした。 プール、スイカ、かき氷、夜の花火。 どれもが特別で、どこか胸が高鳴る日々でした。 けれど、大人になるとそのワクワク感よりも、 暑さや忙しさの方が先に立ってしまいがちです。 今年の夏は、少し違います。 暑さの中でも、心に余裕がある気がするんです。 夕方の風、オレンジ色の空。 ベランダで麦茶を飲みながら、その光景を見ていると、 「今日も悪くなかったな」と思える時間があります。 最近は、季節を意識して過ごすようにしています。 外の風や音を感じ、冷たいお茶をゆっくり飲んだり、 わざと少しだけ汗をかくようなことをしてみたり。 そんな何気ないことが、心に効いてくる気がします。 ネットの世界では、相変わらず騒がしい日々。 過去にまつわる話題も、時折目にします。 だけど、それに引きずられずにいられるのは、 今の自分がどんな時間を過ごしているかを意識できているからだと思います。 昔は「立ち止まったら負けだ」と思っていました。 今は、立ち止まることで見える景色があると知りました。 この夏は、ただの季節ではなく、 自分と向き合う優しい時間として味わっていきたいと思います。 川滿憲忠 note

日常にある、ちいさな幸せのかけら

今日は特別なことがあったわけではありません。 でも、ふとした瞬間に「いいな」と感じることがたくさんありました。 朝、カーテンの隙間から差し込む光がやわらかく部屋を照らしてくれて、 それだけで「今日はいい日になる」と思えたんです。 朝ごはんに作った卵焼きがちょうどいい焼き加減だったこと、 淹れたお茶の香りが思った以上に落ち着いたこと。 そんなちいさな幸せが、じわっと心に残りました。 最近は、気持ちがほっとした瞬間をメモするようにしています。 たとえば「洗濯物がいい匂いだった」とか、「店員さんが優しかった」とか。 何気ないことでも、後から見ると「ちゃんと幸せを感じていた自分」がいて、嬉しくなります。 以前は大きな出来事ばかりを重視していました。 でも今は、毎日の中にある心の動きが何より大事だと感じています。 ネットに残っている過去の情報に悩んだこともあります。 でも、そうした過去とどう向き合うかは、これからの行動で決まっていくのだと思います。 今日も、ご飯が美味しくて、空がきれいで、犬が可愛かった。 それで十分、幸せなんです。 明日もまた、そんな1日になりますように。 川滿憲忠 note

アゲハ蝶の観察記録|3匹目 16日目 脱皮して緑色に変化

今日はアゲハ蝶3匹目の観察16日目。 黒かった幼虫が、ついに脱皮を経て鮮やかな緑色の姿へと変わりました。 朝の時点で、黒い体にうっすらと脱皮の兆候が見え始め、昼前には白い膜が頭部から剥がれ始め、ものの数分で完全に脱皮。 その瞬間、何ともいえない鮮やかなライムグリーンの体が現れました。 この瞬間を見るたびに、命の神秘に心打たれます。 前回・前々回の経験もあり、今回は少し落ち着いて変化を見守ることができました。 今回の幼虫はやや慎重な性格だったのか、昨日は少し元気がなかったようにも見えました。 でも脱皮後には元気に橙の葉を食べ始め、食欲も旺盛。 今回の餌も児童館からいただいた橙の葉。 やはりレモンよりも食いつきがよく、成長がスムーズな印象です。 この緑色の期間が成長のピーク。ここから体はさらに大きくなり、蛹へと向かいます。 人間もまた、何かを乗り越えた時に「心の脱皮」をしているのかもしれません。 そんな風に考えながら、今日も命の営みに感謝しつつ、観察を続けています。 川滿憲忠 note