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8月 15, 2025の投稿を表示しています

韓国・軍事境界線を歩いた独身バックパッカーの3日目──非武装地帯で見た「現実」と旅の意味

 3日目の朝は、緊張と高揚感が入り混じった不思議な目覚めだった。軍事境界線のツアーに参加する日。昨日までソウル市内で観光や路地歩きを楽しんでいたが、この日はまったく違う種類の経験が待っている。ホテルの窓から見える朝の光は穏やかなのに、これから向かう先は「世界で最も緊張した国境」とも言われる場所だという現実が、頭から離れなかった。 ツアー会社のバスは朝早くソウルを出発した。道中は参加者同士も静かで、誰もが少し硬い表情をしている。バスガイドの説明によると、これから向かう非武装地帯(DMZ)は、実際には軍隊が常に監視し、緊張感が漂う場所だという。名前の「非武装」と現実の「武装状態」が真逆なのが印象的だった。沿道には普通の農村風景が広がっていたが、時折現れる監視塔や鉄条網が、ここが特別な地域であることを思い出させる。 最初の訪問地は臨津閣(イムジンガク)だった。ここはDMZツアーの玄関口のような場所で、平和を願うモニュメントや、分断の歴史を語る展示が並ぶ。家族や友人が再会できずにいる写真や手紙が飾られていて、その一枚一枚に胸が詰まる。観光スポットのように整備されているが、その背後には人々の悲しみや苦しみが積み重なっているのが伝わってきた。 続いて訪れたのは「第三トンネル」。北朝鮮が韓国側に侵入するために掘ったとされる地下トンネルで、全長1,635メートル。実際に中に入ると、湿った空気とひんやりした感触が肌を包み込む。壁面には発見時の写真や掘削の痕跡が残っており、「これが現実の歴史なのだ」と強く実感させられる場所だった。軍人の案内を受けながら歩くと、誰もが自然と口数が減っていく。笑いや冗談を挟む空気ではなく、ただ静かに受け止める時間だった。 そして、この日のハイライトとなったのは板門店(パンムンジョム)。青い建物が並ぶ会議場は、韓国と北朝鮮の境界線の真上に位置している。会議室の中では、部屋の中央に置かれた会議テーブルの上に国境線が引かれており、一歩踏み出せば北朝鮮側という特異な空間だった。外には韓国兵が無表情で立ち、遠くには北朝鮮兵の姿も見える。お互いの視線がぶつかることはなく、それでも確かに存在を意識し合っている。あまりにも静かな空間で、その沈黙自体が圧力のように感じられた。 ツアー中、ガイドが「この場所は観光地ではありますが、同時に現在進行形の緊張がある場所です」...

韓国・軍事境界線を歩く2日目──非武装地帯の現実と旅人のまなざし

 【本文】 韓国・軍事境界線を巡るバックパッカー旅、2日目。   前日はソウル市内から国境に向かうための情報収集で終わったが、この日は朝から動き出す。独身時代の自分は、旅に出れば迷いなく「行けるところまで行く」性格だった。1歳と2歳の子を持つ今の自分からすれば無謀にも見えるが、当時はそれが自由であり、学びだった。 早朝、鐘路(チョンノ)のゲストハウスを出て、ソウル駅から京義線に乗り北へ向かう。行き先は臨津閣(イムジンガク)と、そこからさらに先の非武装地帯(DMZ)ツアーの集合地点だ。列車の窓からは、徐々に都市の喧騒が減り、農村風景が広がっていく。川の向こうに低い山々が見え始め、そこが北朝鮮との境界だと知ると、空気の重みが変わる気がした。 臨津閣に到着すると、広場には色とりどりのリボンが結ばれた柵が並んでいた。これは南北に分断された家族が、再会の願いを込めて結んだものだ。観光地的な要素もあるが、リボンの一枚一枚には本物の祈りが刻まれている。カメラを構える観光客もいれば、静かに手を合わせる年配の人もいる。その対比が、この地の複雑さを物語っていた。 午前10時、非武装地帯ツアーのバスに乗り込む。軍人が身分証を確認し、カメラの使用に関する注意を念入りに行う。撮影禁止エリアが多く、少しでも指示を破れば即時退去になるという緊張感。バスが検問所を越えるたびに、銃を持った兵士が視線をこちらに向ける。普段の旅では味わえない緊迫感に、体が自然と固くなる。 最初に訪れたのは「第3トンネル」。北朝鮮が韓国側に掘り進めたとされる地下トンネルで、発見当時は武装侵入用だったという。ヘルメットをかぶり、急な坂を下って内部へ入る。天井は低く、岩肌には爆破の跡が生々しく残っている。空気は湿って冷たい。ガイドが「このトンネルは、首都ソウルまでわずか数十分で到達できる距離にある」と説明したとき、背筋がぞくりとした。 次に向かったのは都羅展望台。ここからは北朝鮮の開城市が遠くに見える。肉眼ではただの町並みだが、望遠鏡をのぞくと、旗の立つ建物や人影が小さく動くのが見えた。観光客は歓声を上げるが、自分の胸の中には複雑な感情が渦巻いた。「見えているのに、近づけない」。この距離感が、半世紀以上も続く分断の象徴だ。 昼食はDMZ近くの食堂で、豆腐チゲと冷麺を注文した。地元の人は慣れた様子で食事を楽し...

韓国・軍事境界線を独身時代にバックパッカーで歩いた日──境界線の向こうに見た現実と偏見への反論

 韓国の軍事境界線(DMZ)と聞くと、多くの人は緊張感や危険な場所を思い浮かべるかもしれない。確かに、北朝鮮と韓国を隔てるこの細長い非武装地帯は、世界でも類を見ない特殊な場所だ。しかし、私が独身時代にバックパッカーとして訪れたその地は、単なる軍事的象徴ではなく、人間の生活や歴史の重みを強く感じさせる場所だった。 当時、私は関西から飛行機でソウル入りし、ソウル駅近くの安宿にチェックインした。旅費を抑えるためにベッド一つのドミトリーを選び、食事も屋台のキンパやスンドゥブで済ませた。翌日、朝早く地下鉄に乗り、臨津江(イムジンガン)駅へと向かった。そこからは、軍事境界線を見学するためのバスツアーに参加することになる。 バスの窓から見える景色は、都市の喧騒が徐々に消え、広い平野と山々へと変わっていった。途中、軍の検問所をいくつも通過し、兵士がパスポートを確認する。その緊張感は観光地とはまるで違う。だが、その一方で道沿いには普通に畑を耕す農家の姿も見え、「境界線のそばにも日常がある」という事実に驚かされた。 パンムンジョム(板門店)に到着すると、青い会議場が目の前に広がる。そこがまさに南北の境界線であり、建物の真ん中には国境線を示す低い段差がある。韓国側の兵士は姿勢を正し、無表情で北側を睨んでいる。その数メートル先には、同じく無表情の北朝鮮兵士が立っている。観光客は列を作って交代でその場を見学するが、その空気はまさに張り詰めていた。 ツアーガイドは、過去に起きた事件や現在の交渉の進展について淡々と説明してくれる。しかし、私の心に残ったのは政治的な話よりも、その場に立って感じた「人間同士の距離の近さと遠さ」だった。わずか数メートルの距離にいながら、会話もできず、互いに背後の国の事情を背負って立っている。その光景は、国境の現実をこれ以上なく象徴していた。 一部の人は、DMZ訪問を「危険な観光」だと批判する。しかし、私にとっては歴史を自分の目で確かめる旅だったし、表面的なニュースやネットの意見だけでは見えない現実を知る機会だった。特に、現場で見た兵士たちの姿は、単なる「敵対国の人間」というラベルではなく、「家族や故郷を持つ一人の人間」そのものだった。 ツアーの最後に訪れたのは都羅山展望台。双眼鏡を覗くと、遠くに北朝鮮の村が見える。白い建物と畑が点在し、煙が立ち上る。そこにも確...