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8月 16, 2025の投稿を表示しています

「食育」という名の押し付けに違和感──離乳食から始まる日本の“決めつけ”を問い直す

 子どもが食べ物を口にする姿というのは、親にとってとても大きな喜びだ。私自身、1歳と2歳の息子を育てているが、ありがたいことに偏食もなければ強い好き嫌いもない。こちらが作ったものを基本的に何でも食べてくれる。もちろん、食べたくないときは無理に押し込むことはしない。それでいいと思っている。食べ物は「食べさせる」ものではなく「食べるもの」だからだ。 興味深いのは、子どもたちが新しい食べ物を口にするときの反応だ。最初のひと口を食べるとき、私はよく「美味しいね」と声をかける。これは半分形式的なものだが、子どもにとっては大事な“食べる経験の入り口”になる。大人が「美味しい」と言葉にすることで、子どもは安心して次のひと口へと進んでいけるのだ。これが、我が家における自然な食育のかたちだと思う。 ところが世の中を見渡すと、「食育」という言葉がいつの間にか親にとって重荷のようにのしかかっている現状がある。特に日本では「離乳食はこの時期から始めるべき」「この月齢になったらこの食材を与えなければならない」といった“正解”がカレンダーのように並べられている。まるでそれに従わなければ親として失格かのように語られることさえある。 しかし、考えてみてほしい。なぜ「離乳食の開始時期」はこうだと一律に決められているのだろうか。子どもによって発達のスピードも違えば、体質や好みも違う。母乳やミルクを欲しがっている時期に、なぜ「もうこの時期だから離乳食を始めなければならない」と押し付けられるのだろうか。極端に言えば、5歳まで母乳やミルクを飲み続けたとしても、必ずしも悪いことではないはずだ。食べることは本来、もっと自由で多様であっていいのではないか。 「食育」の名のもとに流布される情報の多くは、時に科学的な裏付けを欠きながら「常識」として語られる。SNSや育児本には「こうするべき」という声が溢れており、それを目にする親は少なからず不安を抱く。だが、そうした言説に従うことが果たして子どもの幸せにつながるのだろうか。私は大いに疑問を感じている。 食べ物を前にしたとき、子どもは大人以上に正直だ。食べたいときは食べるし、いらないときは顔を背ける。大人の都合で無理に押し込んだところで、子どもの心に「食べることは嫌なこと」という感覚が残ってしまう危険性がある。それこそ「食育」とは真逆の結果だろう。食べることを楽...

韓国・軍事境界線バックパッカー旅まとめ──独身時代に歩いた4泊5日の記録

 独身時代にふと思い立ち、バックパックひとつで飛び出した韓国・軍事境界線の旅。その4泊5日の旅程を振り返って、今回は総まとめとして記事に残しておきたいと思います。ソウルから北へ、非武装地帯に足を運び、現地の人びとと交わし、時には心細さを抱えながらも旅を続けた時間は、いま振り返っても忘れられない経験です。 ### ◆ 出発前の心境と動機 そもそもなぜ軍事境界線に行こうと思ったのか。それは「戦争」という言葉があまりに日常から遠く、それでいて歴史的に近い場所が韓国に存在していることに、若い自分が興味を持ったからです。ニュースや教科書で知ることはあっても、現場の空気を体感することとはまったく違います。「体で感じたい」と思った、それが動機でした。 当時はスマートフォンも今ほど普及しておらず、地図とガイドブックが頼り。宿はゲストハウスを中心に、飛び込みで交渉することもありました。いま思えば無鉄砲さもあったのですが、若さゆえの勢いがあったのだと思います。 ### ◆ 1日目:ソウル到着から緊張感の入り口へ ソウルの街は活気に溢れ、日本からの観光客も多く、安心感すらありました。しかし地下鉄やバスで北の方角に進むにつれ、街並みや空気が少しずつ変わっていきました。軍事境界線という名前を意識するだけで、心臓がドキドキしたのを覚えています。初日は韓国料理を堪能しつつ、ゲストハウスで同世代の旅行者と情報交換をし、翌日に備えました。 ### ◆ 2日目:板門店(パンムンジョム)と非武装地帯 この日が旅のハイライトのひとつ。ツアーに参加して板門店へ足を運びました。青い建物、境界線上に立つ韓国軍兵士、その向こうに動かないように立つ北朝鮮兵士。互いに無言のまま監視し合うその光景は、写真で見るよりもずっと重苦しいものでした。「まだ戦争は終わっていない」という現実を肌で突きつけられました。 ガイドが語る話には、日本では聞いたことのない視点や感情が含まれていて、自分の中の世界観が揺さぶられました。同じツアー参加者たちも言葉少なに頷き、誰も軽口を叩くことはありませんでした。それだけ空気が張りつめていたのです。 ### ◆ 3日目:鉄原(チョロン)と平和展望台 よりローカルな地域へ移動し、鉄原の平和展望台からは北朝鮮の山並みが遠くに見えました。風景は穏やかで美しいのに、それが分断されていることが切ない...

韓国バックパッカー旅・最終日──軍事境界線から帰路へ、独身時代の自分に刻んだもの

独身時代に挑んだ「韓国・軍事境界線バックパッカー旅」。その4泊5日の最終日、ついに帰国の日を迎えることになった。これまでの数日間は、ソウルの雑踏を歩き、非武装地帯(DMZ)を訪れ、軍事境界線という歴史の重みを肌で感じ、そして宿泊先で出会う人々との交流を楽しみながら過ごしてきた。今振り返ると、旅そのものが学びであり、挑戦であり、心の奥底に刻み込まれる記憶の連続だったと感じる。そしてこの最終日は「旅の終わり方」について考えさせられる一日になった。 ### 朝のソウル、旅の締めくくり 最終日の朝、まだ薄暗いうちに起きた。バックパッカー旅ではいつもそうなのだが、帰国の日の朝は少しだけ寂しい。これまで歩き回った街も、慣れ親しんだ屋台の匂いも、今日はもう見納めかと思うと胸が締め付けられるような気分になる。   ホステルの共同キッチンで、昨晩買っておいたキンパとバナナ牛乳を簡単な朝食にする。横では韓国人の大学生グループが、これから南部の釜山まで向かう準備をしていた。彼らと短い英語で言葉を交わし、笑い合いながら「良い旅を」と互いに送り合った。旅人同士のこの瞬間的なつながりが、何より心地よかった。 ### 市場を歩きながら感じた「余韻」 チェックアウトまで少し時間があったので、ソウル市内の市場を歩いてみることにした。南大門市場の活気は、朝からすでに熱気に包まれていた。鉄板で焼かれるホットクの甘い香り、威勢のいい掛け声、カラフルに並ぶ韓国海苔や雑貨。どれもが旅の最後を彩る光景に見えた。   ここで小さな土産を買った。家族へのお土産に韓国海苔、そして自分用には軍事境界線ツアーで見かけた非武装地帯のバッジ。観光地のグッズとしては安っぽいかもしれないが、自分にとっては「確かにそこに行った」という証のように思えた。 ### 空港までの道のり ソウル駅から空港鉄道に乗り、仁川国際空港へと向かう。電車の窓から流れる景色を眺めながら、4泊5日の出来事をひとつひとつ振り返った。初日に戸惑いながら街を歩いたこと、二日目の軍事境界線で感じた張り詰めた空気、三日目に南山の展望台から夜景を眺めた瞬間、そして四日目に出会った旅人たちとの語り合い。それぞれの場面が、まるで一本の映画のように脳裏に蘇ってくる。   電車の中では同じく空港へ向かう観光客も多く、キャリーケースを引く音やガイド...

韓国バックパッカー4日目──軍事境界線からソウルへ、旅の終わりに見えたもの

 4日目の朝は、薄曇りの空の下、板門店近くのゲストハウスで迎えた。前日までの緊張感と興奮が混ざった軍事境界線の体験を胸に、今日はソウルへ戻る最終行程の日だ。地図をテーブルに広げ、コーヒーをすすりながら、今日のルートを再確認する。この瞬間も、旅の終わりに向かっていることを少しずつ実感していた。  荷物を背負い、最寄りのバス停まで歩く。舗装の甘い道、時折すれ違う軍関係の車両、そして街角で売られている屋台のトッポッキ。地元の人たちは慣れた様子で行き交い、観光客である自分だけがこの風景に特別な意味を感じているようだった。  途中、最後の寄り道として、軍事博物館に立ち寄った。展示されている兵器や写真の数々は、これまで本やニュースで見てきた戦争の記憶を、より立体的で生々しいものに変えてくれる。観光地というより、歴史の重さを静かに感じる場所だ。そこには修学旅行らしき学生たちもいて、ガイドの説明に真剣な表情で耳を傾けていた。  昼前にはソウル行きのバスに乗り込み、車窓から徐々に広がっていく都市の景色を眺める。ビル群が近づくにつれて、昨日までの静けさとは対照的なエネルギーを感じる。バックパックを抱えたまま街中に降り立つと、クラクションや人のざわめきが一気に押し寄せた。  ソウルでの最初の目的地は南大門市場。狭い路地にぎっしり並んだ露店では、衣料品からキムチ、韓国海苔まで何でも揃う。交渉をしながら買い物をするのも楽しいが、値段のやりとりよりも、商人たちの活気ある声や笑顔に惹かれる。市場の中ほどにある食堂でビビンバを注文し、スプーンで混ぜながらこの旅の出来事を思い返す。  午後は景福宮へ向かった。朝鮮王朝時代の壮麗な建築と広大な敷地は、現代の高層ビルに囲まれてなお威厳を放っている。宮殿を歩きながら、過去と現在がこんなにも近く共存しているのは韓国ならではだと感じた。観光客も多く、日本語や英語、中国語が入り混じる中で、異国にいる感覚が一層強まった。  夕方、清渓川沿いを歩く。街の中心を流れるこの川は、整備されてから観光名所になり、市民の憩いの場でもある。ベンチに腰掛けて川面を眺めていると、会社帰りの人々やデートを楽しむカップルが行き交う。旅の最終日、こうした日常の風景を見ることで、この国が戦争の記憶を抱えながらも前に進んでいることを改めて感じた。  夜はソウル駅近くのゲストハウスにチェックイ...