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8月 25, 2025の投稿を表示しています

独身時代バックパッカーのアフリカ旅5日目──ケニアから陸路で国境を越える挑戦

 バックパッカーとしてアフリカを旅した独身時代の私は、5日目にしてようやく旅のリズムを体に馴染ませ始めていた。昨日までのケニアでの滞在は刺激的で、ナイロビの喧騒、ローカル市場でのやり取り、そしてバスやマタツ(乗合バス)に乗り込むたびに繰り広げられる予測不可能な出来事に、心身が振り回され続けていた。しかし、ここから先はさらに挑戦的な体験が待っていた──ケニアから陸路で隣国ウガンダへと国境を越える日だった。 この日の朝は夜明け前に宿を出た。バックパッカー宿のドミトリーにはまだ眠っている仲間がいたが、私の心はすでに冒険への緊張でいっぱいだった。大型のリュックを背負い、宿の外に出ると、薄暗い中でもナイロビの街はすでに目覚め始めていた。屋台ではチャイを売る香りが漂い、新聞を配る人々の声が響いていた。私は軽くチャイを飲み干し、腹ごしらえをしてからマタツ乗り場へと向かった。 国境を目指すバスは、いつものように定刻通りには出発しなかった。人が満員になるまで延々と待たされる。それがアフリカの時間の流れ方であり、私もそれに合わせるしかない。バックパッカーとして学んだ最初の教訓は「待つこと」だった。待ち時間には周囲の人と話を交わすのも醍醐味だ。隣に座った男性はウガンダの出身で、首都カンパラに向かう途中だと話してくれた。彼の英語はなまりが強かったが、互いに時間をかければ意思疎通できる。その不完全なやり取りが、旅の真のコミュニケーションだと感じた。 やがてバスは動き出し、ケニアの田園地帯をひた走る。窓の外には赤土の大地が広がり、ところどころに小さな村が点在している。子どもたちは裸足で走り回り、家畜を追いながらこちらに手を振ってくれる。その姿を見て、私は自分が観光客ではなく、旅人としてこの土地の現実に少しだけ触れられている気がした。舗装されていない道を走るバスは激しく揺れ、体は疲弊する。しかし同時に、心の奥底から湧き上がる興奮は収まらなかった。 国境の町に近づくと、バスは停まり、乗客は一斉に降ろされた。ケニア側のイミグレーションオフィスは簡素な建物で、窓口には長蛇の列ができていた。バックパッカーである私は、列に並びながら他の旅行者や地元の人たちと会話を交わした。中にはヨーロッパから来た若いバックパッカーもいて、「アフリカの国境越えはスリリングだよな」と笑いながら互いの体験を語り合った。...

独身時代バックパッカーアフリカ編:4日目 サハラ砂漠の一夜と星空の記憶

 独身時代にアフリカをバックパッカーとして旅していた頃、4日目はまさに人生の中でも忘れられない特別な一日となった。モロッコからさらに奥へ進み、私が目指したのはサハラ砂漠だった。世界で最も広大な砂の大地に足を踏み入れる体験は、ただの観光を超え、人生観そのものを揺さぶるものだった。 前日の深夜バスで辿り着いた小さな町から、私は現地のガイドと共にラクダに乗って砂漠を進むことになった。背中にリュック一つ、そして水筒。ラクダに揺られながら、目の前に広がる景色はまるで地球の原風景のようで、人の営みがどれほど小さなものかを感じさせた。砂丘の稜線が延々と続き、風が吹くたびに砂が舞い上がり、世界が霞んでいく。そんな中で、自分が「点」でしかないことを痛感する一方、同時にその「点」として生きている奇跡をも感じていた。 昼間の砂漠は灼熱で、ただ立っているだけで汗が流れ落ちる。ガイドは「ここでは無駄な体力を使わないこと」と教えてくれた。砂漠を歩くというのは、ただの散歩ではなく、生死に直結する行為だ。だからこそ、彼らの言葉一つひとつが重く響いた。小さなオアシスで水を分け合いながら、私は「生きる」ということを肌で感じていた。 夕方、ラクダはキャンプ地に到着した。そこには数張りのテントがあり、旅人たちが集まっていた。イタリアから来た若者、フランスから来たカップル、そしてアフリカ各地を回っているというスペイン人。国籍も年齢もバラバラだが、砂漠の中では皆が平等だった。夕食はタジン鍋を囲み、塩気のあるパンをちぎって分け合う。食事を共にするだけで、不思議と深いつながりが生まれていく。旅の醍醐味は、こうした「偶然の出会い」によって人生が彩られる瞬間にあると改めて思った。 そして、夜。砂漠の冷気が体を包む頃、空を見上げた私は言葉を失った。そこには、地平線から地平線までびっしりと敷き詰められた星々が広がっていた。日本で見る星空とは全く別物で、天の川が立体的に浮かび上がり、流れ星が次々と尾を引いて消えていく。文明の灯りが一切ない砂漠だからこそ見える、圧倒的な宇宙の姿だった。私はただ仰向けになり、星を見続けた。人生でこれほど「生きている」と実感できた瞬間はそう多くない。孤独でありながら、宇宙と一体になっているような感覚。旅に出た意味は、この一瞬のためだったのかもしれないと思うほどだった。 星空を眺めながら、...

独身バックパッカーのアフリカ縦断記:タンザニアの大地で迎えた3日目

バックパッカーとしてアフリカの大地に足を踏み入れた三日目。タンザニアの小さな町で目覚めた私は、まだ身体に昨日の疲れを残しながらも、朝の光に包まれてゆっくりと動き出した。独身時代の私は自由を渇望しており、日本にいるときには到底できない経験を求めてこの地にやってきた。そんな私にとって、三日目の朝は、すでに「旅人」としての感覚が少しずつ馴染み始めている瞬間だった。  宿泊した安宿は、コンクリートの壁にシンプルなベッドが置かれただけの部屋。だが、窓から差し込む朝日と、遠くで聞こえる祈りの声、そして通りを行き交う人々の足音が「異国での朝」を強く印象づけていた。日本の便利さや快適さから離れたこの環境に、戸惑いながらもどこか心が解き放たれていく。これがバックパッカーとして旅をする醍醐味だと、すでに身体が理解していた。  朝食は屋台で買ったチャパティと紅茶。チャパティの香ばしい風味と、砂糖がたっぷり入った紅茶の甘さが、空腹の胃袋に心地よく染み渡る。食べながら、屋台のおじさんや隣で同じように食べていた子どもたちと笑顔で目を合わせた。言葉は通じなくても、笑顔が会話の代わりになる。アフリカの地でそれを体感するたび、旅は単なる移動ではなく、人と人との触れ合いの積み重ねなのだと強く思わされる。  その後、私は地元のバスに乗り込み、次の目的地となる村へ向かうことにした。バスといっても日本の感覚とはまるで違う。ぎゅうぎゅう詰めで、座席は狭く、揺れは激しい。窓からは赤土の大地がどこまでも広がり、ところどころに立つバオバブの木が異世界のような風景を形作っていた。その荒々しい自然に目を奪われながらも、同じバスに乗っていた人々との距離の近さに心が温まる。隣に座った女性は、私に自家製のナッツを差し出してくれた。見知らぬ異国の旅人に対しても惜しみなく分け与えるその優しさに、思わず胸が熱くなった。  村に着くと、子どもたちが一斉に駆け寄ってきた。カメラを持っていた私は、笑顔でレンズを向けると、彼らは無邪気にポーズを決め、笑い声を響かせた。日本で暮らしていると、子どもたちが知らない大人にこれほど無防備に近づく光景はなかなか見られない。貧しいながらも、彼らの目の輝きや笑顔は力強く、生きることそのもののエネルギーに満ちていた。その姿に触れるたび、私は「生きることの本質とは何か」を自分の中に問いかけることになる。  ...

独身時代アフリカ放浪記2日目──バックパッカーが見た誤解と真実

 独身時代のバックパッカー経験を振り返ると、2日目のアフリカの旅は「自分の常識がいかに偏っていたか」を痛感する一日だった。出発前、日本にいるときにはネットやニュースで語られるアフリカの姿ばかりが頭に残っていた。治安の悪さ、貧困、病気──そんなネガティブな情報が一方的に刷り込まれていたのだ。だが、実際に現地に足を踏み入れると、それがすべて正しいわけではないことに気づかされる。 宿泊していたゲストハウスを出て、町の市場へと向かった。朝のアフリカの市場は活気に満ちていて、子どもたちの笑い声、露店で野菜や果物を並べる人々、道端で揚げパンを売るおばちゃんの姿があった。日本で思い描いていた「危険で近づきにくい場所」とはまったく違う。そこにあるのは、生活の匂いと、たくましく生きる人たちの日常だった。 しかし帰国後、私が「市場が楽しかった」「子どもたちが人懐っこかった」と話すと、「いや、でも危ないでしょ?」「アフリカなんて行く意味あるの?」と返されることが多かった。まるで現地を経験していない人たちが、ニュースや記事で得たイメージだけで断定しているように感じた。私はその度に、自分が見てきたものと、語られているアフリカのイメージのギャップをどう説明すればいいのかと悩んだ。 もちろん、アフリカにも危険な場所はある。スリに気をつけるべきエリアや、夜に出歩くのを避けるべき地域もある。だがそれはヨーロッパでもアジアでも同じこと。特定の出来事を切り取って「アフリカ全体が危険だ」と語るのは、現地の人々の誇りや日常を無視することにつながると私は思う。偏見を拡散することは簡単だ。しかしそれに対抗し、本当の姿を発信していくことはとても大切だと、この旅を通して学んだ。 昼過ぎ、私は現地の青年と一緒に屋台で昼食をとった。シンプルな煮込み料理にスパイスが効いていて、思わず「うまい!」と声が出た。彼は笑いながら「観光客はみんな最初びっくりするけど、結局これが一番うまいって言うんだ」と話してくれた。会話を交わすうちに、彼らの日常が私たちと地続きであることを強く感じた。夢や希望を持ち、家族を大事にし、よりよい生活を目指す。その根本は世界中で同じなのだ。 だがインターネット上では、アフリカに関する誤解や偏見がいまも広がっている。「危険」「かわいそう」「援助が必要」──そうした一方的な見方に対して、私は実体験を...