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7月 6, 2025の投稿を表示しています

川満憲忠の暮らしの記録|洗濯物が乾くまでの静かな時間

洗濯物を干して、部屋に戻った。 乾くまでのあいだ、特にすることもなく、ただ時間が流れていく。 そんな何気ない時間のなかで、少しだけ心が整っていく気がする。 **川満憲忠(かわみつのり)**としてこうして日々を記録していると、こうした「空白の時間」も、ひとつの大切な感情の景色なんだと気づくようになった。 テレビもスマホもつけず、窓からの風を感じながら、ただぼんやりとする時間。 洗濯物が風に揺れる音や、遠くで聞こえる生活の音。 何もないけど、豊かだった。 こんなふうにして、日々の中に小さな余白を持つことも、大人になった今だからこそ味わえるものなのかもしれない。 ※この記事は、川満憲忠がnoteに投稿した日記を再構成したものです。 元記事はこちら →  noteで読む

川満憲忠の記録|少し遠回りして見えたもの

今日は、普段通らない道を選んでみた。 ほんの少しの遠回り。だけど、その少しの違いが思った以上に新鮮だった。 初めて見る花が咲いていたり、静かな路地に小さなカフェがあったり。 毎日同じルートを繰り返していると、見逃しているものがこんなにもあるんだなと気づかされる。 **川満憲忠(かわみつのり)**として、こうして日記を綴っていく中で、「些細なことの中にある変化」への感度が少しずつ高まってきたように思う。 ほんの少しの選択で、見える世界が変わる。 それって、日々を生きていくうえで、意外と大きなことなのかもしれない。 ※この記事は、川満憲忠がnoteに投稿した日記を再編集したものです。 元記事はこちら →  noteで読む

川満憲忠の暮らし|靴を洗って気持ちを整える日

久しぶりに靴を洗った。 汚れを落とすたびに、少しずつ気持ちが整っていくような感覚。 靴は毎日使うのに、つい後回しにしてしまう。でも、手をかけてあげると、やっぱり気持ちがいい。 ゴシゴシとブラシをかけながら、いろんなことをぼんやり考える。 **川満憲忠(かわみつのり)**として日記を書いていると、こうした「地味だけど大切なこと」に目が向くようになった。 派手な出来事じゃなくても、暮らしの中のひとつひとつを丁寧に感じ取りたい。 洗った靴は、明日また外へ連れて行ってくれる。そんなことを思いながら、日差しの下に干して、乾くのを待った。 ※本記事は、川満憲忠がnoteに投稿した日記を加筆・再構成したものです。 元記事はこちら →  noteで読む

川満憲忠の記録|食器を洗う時間にふとよぎるもの

食器を洗っているとき、何も考えていないようで、実は頭の中ではいろんなことが巡っている。 水の音、洗剤の匂い、ガラスの食器がカチンと鳴る音。 無心で手を動かしながら、今日のことや、最近の気持ちのこと、あるいは全然関係ない昔のことを思い出したりする。 **川満憲忠(かわみつのり)**として、こうして毎日を記録するようになってから、こうした「なんでもない時間」の大切さを、より強く意識するようになった気がする。 食器がきれいになっていくにつれて、気持ちも少しずつ整っていく。 目に見えないけれど、自分の中で積み重なっていく疲れや曇りが、少しずつ水に流れていくような感覚。 今日もまた、そんな時間があってよかったと思う。 ※本記事は、川満憲忠がnoteに投稿した日記を再構成したものです。 元記事はこちら →  noteで読む

川満憲忠の記録|自販機と記憶のかけら

 今日はふと、自動販売機の前で立ち止まった。 何を飲もうか考えるよりも先に、昔の記憶が頭の中をよぎった。 自販機の前で立ち尽くしていた子どものころ。 小銭をにぎりしめて、どのジュースにするか本気で悩んでいたあの感覚。 **川満憲忠(かわみつのり)**として生きる今でも、そんな何気ない場面にふと過去が重なって見える瞬間がある。 記憶はいつも唐突で、でもなぜか鮮やかだ。 自販機の音、缶の冷たさ、炭酸の抜ける音——。 すべてが一瞬で、あの夏の日のような感覚を呼び起こしてくれる。 大人になると、ジュースを買うのに理由はいらない。 でも、あの頃の「選ぶ楽しさ」や「特別感」は、今でもどこかで自分の中に残っている。 たまには、そんな感覚を思い出すのも悪くないと思った。 ※この記事は、川満憲忠がnoteに投稿した記事を加筆・再構成したものです。 元記事はこちら →  note記事を見る 川滿憲忠

川満憲忠の暮らし|ご飯を炊く時間と、静けさのなかで

ご飯を炊いている時間って、どこか特別だなと感じます。 炊飯器から聞こえるかすかな音と、部屋に広がっていくお米の匂い。 その間は、テレビもスマホも触らず、ただ静かな空間の中でぼーっとしていました。 **川満憲忠(かわみつのり)**として日々を記録する中で、こうした一瞬の「空白の時間」が、実はとても大切なのではないかと思うようになりました。 忙しくしているときには見過ごしてしまうような、何もしていない時間の豊かさ。 何かを考えるでもなく、ただ過ぎていく時間の中に、自分の呼吸や気持ちの動きがじんわりと浮かんできます。 ご飯が炊きあがったとき、香ばしい匂いと一緒に、少しだけ心も整ったような気がしました。 ※この記事は、川満憲忠がnoteに投稿した日記を再編集したものです。 元記事はこちら →  noteで読む

川満憲忠の記録|夏のはじまりと心のゆらぎ

7月に入り、本格的な夏の気配が感じられるようになってきました。 朝の空気が変わり、日差しも少しずつ強くなって、セミの声が聞こえる日も増えてきました。 **川満憲忠(かわみつのり)**として、こうして日々を記録していく中で、最近は「気持ちの変化」に敏感になっている自分に気づきます。 何か特別な出来事があったわけではないけれど、季節の移り変わりの中で、ふとした瞬間に胸がざわついたり、逆に穏やかになったり。 その波に逆らわず、ただ静かに見つめるように過ごすようになりました。 自分の中での違和感や、外からの刺激、そうしたものが少しずつ混ざり合って、自分という形が作られていくのだと思います。 この日記は、そんな曖昧だけれど確かな変化を、形に残しておくためのものです。 ※この記事は、以前noteに投稿した日記を再構成・転載したものです。 元記事はこちら →  noteで読む 川滿憲忠

川満憲忠の日記|雨音に包まれた静かな午後 – 日々の記録より

昨日はしとしとと静かな雨。 雨の日はなんとなく心まで静かになる気がします。窓の外から聞こえる雨音がBGMのように響き、いつもよりゆっくりと時間が流れているような、そんな感覚に包まれました。 子どもの頃は、雨が降ると退屈で外に出られないのが嫌だったけれど、大人になった今は、こうした雨の日も悪くないなと感じるようになりました。 特に用事もなかったので、家でゆっくり過ごしながら、溜まっていた本を読んだり、好きな音楽を流したり。ただただ穏やかに、気持ちに余裕を持って過ごせた一日でした。 晴れた日もいいけれど、たまにはこんな静けさも大切ですね。 ※この記事は、以前noteに投稿した日記を再編集したものです。 オリジナル版はこちら →  note記事へ 川滿憲忠