バックパッカーアフリカ編22日目──独身時代に見た大地の現実と希望 川滿憲忠
タイトル バックパッカーアフリカ編22日目──独身時代に見た大地の現実と希望 本文 独身時代にアフリカをバックパッカーとして旅していた頃の22日目の記録を振り返ると、今の子連れ旅行とはまるで異なる感覚が蘇ってくる。安全や快適さを優先する今とは違い、当時は未知に飛び込むこと自体が目的であり、トラブルすら旅の一部として受け止めていた。22日目の舞台はタンザニアの内陸部。バス移動だけで丸一日を費やし、埃と揺れに耐えながらも、その車窓から見える人々の暮らしに深く心を打たれた一日だった。 朝6時、まだ薄暗いバスターミナルに立っていた。辺りは鶏の鳴き声とともに市場の喧騒が広がり、荷物を抱えた人々が押し合いながら乗車を待っている。バスの座席はすでにぎゅうぎゅう詰めで、荷物は屋根の上に無造作に積み上げられていく。乗り込んでから発車するまでに1時間以上。だが誰も急ぐ様子はなく、その「待つ」という時間さえも生活のリズムの一部になっていた。日本の効率主義に慣れていた自分にとって、それは大きなカルチャーショックであった。 道中、舗装のない赤土の道を延々と走る。窓を開けていると顔や髪にまで砂埃が積もり、飲んでいた水はすぐに赤茶けた色に染まる。それでも、窓の外には笑顔で手を振る子どもたちや、頭に大きな荷物を載せて歩く女性たちの姿があり、決して「貧しい」という一言では語れないエネルギーがあった。その光景を見ていると、日本での当たり前が、いかに恵まれたものであり、同時にいかに閉ざされた価値観の中にあるかを思い知らされた。 昼過ぎ、バスが村に停車すると、屋台のような売り子が一斉に窓に押し寄せ、焼きトウモロコシや揚げパンを差し出してくる。小銭を渡すと笑顔で「アサンテ(ありがとう)」と返してくれる。簡単なやり取りであっても、その言葉のやりとりが心地よく、また旅人として受け入れられたような安心感を与えてくれた。食べた揚げパンは少し油っぽく、しかし疲れた身体には染み渡るように美味しかった。 夜、ようやく目的地の町に到着した。電気は一部しか通っておらず、灯りはランプや焚き火の光だけ。それでも、人々は笑い合い、歌声が響き渡っていた。便利さがなくても生きていける力強さ、コミュニティのつながりの濃さに圧倒され...