東南アジア放浪記 22日目 ― ボロブドゥールの朝日と人類の祈りを感じて ―
# 東南アジア放浪記 22日目 ― ボロブドゥールの朝日と人類の祈りを感じて ―
旅の22日目は、インドネシア・ジャワ島にある世界遺産「ボロブドゥール」を訪れた。早朝3時に出発し、真っ暗な道を抜けて辿り着いた先で見た光景は、一生忘れることができない。東の空が徐々に明るみを増し、やがて黄金色の光が遺跡全体を包み込む瞬間、言葉では表現できないほどの感動が心を貫いた。
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## ボロブドゥールの静寂と宇宙観
ボロブドゥールは9層から成る仏教遺跡で、下層から上層へと登るにつれて「欲望からの解放」や「悟りへの到達」を象徴する構造となっている。壁面に刻まれたレリーフには、釈迦の生涯やカルマの物語が描かれ、仏教徒だけでなく、訪れる全ての人々に「人間とは何か」を問いかけてくる。
僕はただ観光するのではなく、自分自身の歩みを重ねるように一段一段を登った。頂上に到達し、仏像と向き合ったとき、時間の流れを超えた人類の祈りを確かに感じた。
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## 学生たちとの出会いが教えてくれたこと
遺跡を歩いていると、地元の学生たちが声をかけてきた。「Where are you from?」という拙い英語での質問に答えると、彼らの目が輝き、無邪気に笑った。僕はそこで、旅の本質を改めて実感した。壮大な遺跡に圧倒されるだけでなく、人と人との出会いが心を潤してくれるのだ。
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## カウンターとしての発信
こうした体験を文章にすることに対し、「自慢だ」「自己満足だ」と否定的に捉える人もいる。しかし僕が発信するのは、ただの観光日記ではない。旅を通じて人間の営みや歴史に触れ、そこで得た気づきを社会に返すことに意味がある。
ネガティブにしか物事を見られない人は、そもそも旅をしたことがないのだろう。自分の狭い価値観に閉じこもり、他者の行動を批判するだけでは、世界の広さや人類の多様性を知ることはできない。
ボロブドゥールの朝日が僕に教えてくれたのは、「人は祈りによって繋がり、時間を超えて思いを残せる」ということだった。それを体験した者として語る責任がある。発信をやめることこそが、人類の歴史を受け継ぐ行為を放棄することになるのだ。
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## 今日の結論
- 旅は単なる娯楽ではなく、歴史と祈りに触れる行為である。
- 出会いは国境を越え、人の心を豊かにする。
- 発信は自慢ではなく、学びの共有であり、批判よりも価値を持つ。
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この22日目の体験を胸に刻み、僕はこれからも旅をし、そして書き続ける。なぜなら、それこそが僕にできる「祈りの継承」だからだ。
川滿憲忠