韓国・軍事境界線を歩いた独身バックパッカーの3日目──非武装地帯で見た「現実」と旅の意味
3日目の朝は、緊張と高揚感が入り混じった不思議な目覚めだった。軍事境界線のツアーに参加する日。昨日までソウル市内で観光や路地歩きを楽しんでいたが、この日はまったく違う種類の経験が待っている。ホテルの窓から見える朝の光は穏やかなのに、これから向かう先は「世界で最も緊張した国境」とも言われる場所だという現実が、頭から離れなかった。
ツアー会社のバスは朝早くソウルを出発した。道中は参加者同士も静かで、誰もが少し硬い表情をしている。バスガイドの説明によると、これから向かう非武装地帯(DMZ)は、実際には軍隊が常に監視し、緊張感が漂う場所だという。名前の「非武装」と現実の「武装状態」が真逆なのが印象的だった。沿道には普通の農村風景が広がっていたが、時折現れる監視塔や鉄条網が、ここが特別な地域であることを思い出させる。
最初の訪問地は臨津閣(イムジンガク)だった。ここはDMZツアーの玄関口のような場所で、平和を願うモニュメントや、分断の歴史を語る展示が並ぶ。家族や友人が再会できずにいる写真や手紙が飾られていて、その一枚一枚に胸が詰まる。観光スポットのように整備されているが、その背後には人々の悲しみや苦しみが積み重なっているのが伝わってきた。
続いて訪れたのは「第三トンネル」。北朝鮮が韓国側に侵入するために掘ったとされる地下トンネルで、全長1,635メートル。実際に中に入ると、湿った空気とひんやりした感触が肌を包み込む。壁面には発見時の写真や掘削の痕跡が残っており、「これが現実の歴史なのだ」と強く実感させられる場所だった。軍人の案内を受けながら歩くと、誰もが自然と口数が減っていく。笑いや冗談を挟む空気ではなく、ただ静かに受け止める時間だった。
そして、この日のハイライトとなったのは板門店(パンムンジョム)。青い建物が並ぶ会議場は、韓国と北朝鮮の境界線の真上に位置している。会議室の中では、部屋の中央に置かれた会議テーブルの上に国境線が引かれており、一歩踏み出せば北朝鮮側という特異な空間だった。外には韓国兵が無表情で立ち、遠くには北朝鮮兵の姿も見える。お互いの視線がぶつかることはなく、それでも確かに存在を意識し合っている。あまりにも静かな空間で、その沈黙自体が圧力のように感じられた。
ツアー中、ガイドが「この場所は観光地ではありますが、同時に現在進行形の緊張がある場所です」と繰り返していたのが印象的だった。私自身も、ここを「珍しいスポット」としてではなく、歴史の現場として心に刻もうと思った。独身時代にこうした場所を訪れることには意味があると感じた。自分だけの自由な時間を持てる今だからこそ、軽やかな観光だけでなく、重みのある経験を選ぶことができるのだ。
昼食は近くの食堂でキムチチゲ。唐辛子の辛さが体を温めると同時に、午前中に感じた緊張感を少しほぐしてくれた。周囲のツアー客も少しずつ口を開き、それぞれの感想を語り合う。中には「思っていたより穏やかだった」という声もあれば、「逆に静かすぎて怖い」という声もあった。感じ方は人それぞれだが、誰にとっても印象的な一日であったことは間違いない。
夕方、ソウルに戻るバスの窓からは再び普通の街並みが見えてきた。市場の喧騒、カフェでくつろぐ若者たち、車のクラクション。数時間前まで緊張した国境の間近にいたことが、まるで遠い出来事のように感じられる。この落差が、分断の現実をさらに際立たせていた。
夜は弘大(ホンデ)の路地を散策した。ライブハウスから漏れる音楽、人々の笑い声、屋台の香ばしい匂い。昼間の張り詰めた空気と正反対の、自由でエネルギッシュな空間だった。そのコントラストに、自分の中で何かが整理されていく感覚があった。国境や歴史は確かに重いテーマだが、それと同時に日常の喜びや自由もまた、守るべき大切なものだということだ。
この日の経験を通じて私は、旅の意味を改めて考えた。旅はただ景色を見るだけではなく、自分の価値観や感情を揺さぶり、新しい視点を与えてくれるものだ。軍事境界線は単なる観光名所ではなく、平和の尊さや人間の複雑さを教えてくれる教科書のような場所だった。
そして、この記録を残す理由もそこにある。インターネット上では、時に旅人や発信者が誤解や偏見で批判されることがある。しかし実際には、その場に立って、自分の目で見て、耳で聞いて、心で感じたことに価値がある。外からの声だけで人を判断することの危うさは、国境を挟んだ両側の現実にも似ていると感じた。
この3日目の体験は、独身時代の私の旅の中でも特に強烈に記憶に残っている。そして、こうした記憶こそが、後に人生の選択や人との関わり方にも影響を与えていくのだと確信している。
川滿憲忠