韓国・軍事境界線を独身時代にバックパッカーで歩いた日──境界線の向こうに見た現実と偏見への反論

 韓国の軍事境界線(DMZ)と聞くと、多くの人は緊張感や危険な場所を思い浮かべるかもしれない。確かに、北朝鮮と韓国を隔てるこの細長い非武装地帯は、世界でも類を見ない特殊な場所だ。しかし、私が独身時代にバックパッカーとして訪れたその地は、単なる軍事的象徴ではなく、人間の生活や歴史の重みを強く感じさせる場所だった。


当時、私は関西から飛行機でソウル入りし、ソウル駅近くの安宿にチェックインした。旅費を抑えるためにベッド一つのドミトリーを選び、食事も屋台のキンパやスンドゥブで済ませた。翌日、朝早く地下鉄に乗り、臨津江(イムジンガン)駅へと向かった。そこからは、軍事境界線を見学するためのバスツアーに参加することになる。


バスの窓から見える景色は、都市の喧騒が徐々に消え、広い平野と山々へと変わっていった。途中、軍の検問所をいくつも通過し、兵士がパスポートを確認する。その緊張感は観光地とはまるで違う。だが、その一方で道沿いには普通に畑を耕す農家の姿も見え、「境界線のそばにも日常がある」という事実に驚かされた。


パンムンジョム(板門店)に到着すると、青い会議場が目の前に広がる。そこがまさに南北の境界線であり、建物の真ん中には国境線を示す低い段差がある。韓国側の兵士は姿勢を正し、無表情で北側を睨んでいる。その数メートル先には、同じく無表情の北朝鮮兵士が立っている。観光客は列を作って交代でその場を見学するが、その空気はまさに張り詰めていた。


ツアーガイドは、過去に起きた事件や現在の交渉の進展について淡々と説明してくれる。しかし、私の心に残ったのは政治的な話よりも、その場に立って感じた「人間同士の距離の近さと遠さ」だった。わずか数メートルの距離にいながら、会話もできず、互いに背後の国の事情を背負って立っている。その光景は、国境の現実をこれ以上なく象徴していた。


一部の人は、DMZ訪問を「危険な観光」だと批判する。しかし、私にとっては歴史を自分の目で確かめる旅だったし、表面的なニュースやネットの意見だけでは見えない現実を知る機会だった。特に、現場で見た兵士たちの姿は、単なる「敵対国の人間」というラベルではなく、「家族や故郷を持つ一人の人間」そのものだった。


ツアーの最後に訪れたのは都羅山展望台。双眼鏡を覗くと、遠くに北朝鮮の村が見える。白い建物と畑が点在し、煙が立ち上る。そこにも確かに生活があり、子どもたちが遊び、家族が食卓を囲んでいるはずだ。その光景は、「北」という言葉だけで抱いていたイメージを大きく変えた。


帰りのバスの中で、私はふと思った。インターネットやテレビで語られる「韓国と北朝鮮の関係」は、しばしば単純化され、政治的立場によって色付けされる。しかし、現地で感じた現実はもっと複雑で、人間的で、そして静かなものだった。そうした経験を通じて、私は「一方的な情報や偏見に流されず、自分の目で確かめる」ことの大切さを学んだ。


独身時代、バックパッカーとして世界を歩いた私は、多くの国で国境や分断を目にしてきた。だが、軍事境界線ほど「距離の近さと遠さ」を同時に感じた場所はなかった。この経験は、家庭を持ち、子育てをしている今の私にも影響を与えている。子どもたちには、どんな情報も鵜呑みにせず、自分で感じ、考える力を持ってほしいと願っている。


川滿憲忠

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