独身時代バックパッカーのアフリカ旅5日目──ケニアから陸路で国境を越える挑戦

 バックパッカーとしてアフリカを旅した独身時代の私は、5日目にしてようやく旅のリズムを体に馴染ませ始めていた。昨日までのケニアでの滞在は刺激的で、ナイロビの喧騒、ローカル市場でのやり取り、そしてバスやマタツ(乗合バス)に乗り込むたびに繰り広げられる予測不可能な出来事に、心身が振り回され続けていた。しかし、ここから先はさらに挑戦的な体験が待っていた──ケニアから陸路で隣国ウガンダへと国境を越える日だった。


この日の朝は夜明け前に宿を出た。バックパッカー宿のドミトリーにはまだ眠っている仲間がいたが、私の心はすでに冒険への緊張でいっぱいだった。大型のリュックを背負い、宿の外に出ると、薄暗い中でもナイロビの街はすでに目覚め始めていた。屋台ではチャイを売る香りが漂い、新聞を配る人々の声が響いていた。私は軽くチャイを飲み干し、腹ごしらえをしてからマタツ乗り場へと向かった。


国境を目指すバスは、いつものように定刻通りには出発しなかった。人が満員になるまで延々と待たされる。それがアフリカの時間の流れ方であり、私もそれに合わせるしかない。バックパッカーとして学んだ最初の教訓は「待つこと」だった。待ち時間には周囲の人と話を交わすのも醍醐味だ。隣に座った男性はウガンダの出身で、首都カンパラに向かう途中だと話してくれた。彼の英語はなまりが強かったが、互いに時間をかければ意思疎通できる。その不完全なやり取りが、旅の真のコミュニケーションだと感じた。


やがてバスは動き出し、ケニアの田園地帯をひた走る。窓の外には赤土の大地が広がり、ところどころに小さな村が点在している。子どもたちは裸足で走り回り、家畜を追いながらこちらに手を振ってくれる。その姿を見て、私は自分が観光客ではなく、旅人としてこの土地の現実に少しだけ触れられている気がした。舗装されていない道を走るバスは激しく揺れ、体は疲弊する。しかし同時に、心の奥底から湧き上がる興奮は収まらなかった。


国境の町に近づくと、バスは停まり、乗客は一斉に降ろされた。ケニア側のイミグレーションオフィスは簡素な建物で、窓口には長蛇の列ができていた。バックパッカーである私は、列に並びながら他の旅行者や地元の人たちと会話を交わした。中にはヨーロッパから来た若いバックパッカーもいて、「アフリカの国境越えはスリリングだよな」と笑いながら互いの体験を語り合った。国境という場所には、国籍も年齢も異なる人々が交錯し、一種独特の熱気が漂っている。


出国手続きを終えると、徒歩で国境を越える時間がやってきた。舗装の途切れた道を歩きながら、背中のリュックの重みを感じた。わずか数百メートルの距離に過ぎないが、その一歩一歩は自分の人生を大きく動かしているような感覚を覚えた。ウガンダ側の入国審査では、係官が無愛想にスタンプを押し、私のパスポートは新たな国の証を刻んだ。こうして私はまた一つ、新しい世界の扉を開いたのだった。


国境を越えた先には、ケニアとはまた違った空気が流れていた。人々の表情、言葉、街の雰囲気が微妙に異なり、旅の舞台が切り替わったことを体で感じる。国境を越えるとは、単に地図上の線をまたぐことではなく、自分の中の固定観念を更新し続ける体験なのだ。ウガンダの大地に立った瞬間、私は再びゼロからの学びを始める覚悟を固めた。


この日の夜は、国境近くの小さな町で宿を取った。停電が多く、シャワーも水だけしか出ないような宿だったが、私にとっては十分だった。地元の食堂で食べた豆とチャパティの素朴な味が、体に染みわたる。電気もない暗闇の中で、周囲の人々と焚き火を囲みながら語り合う時間は、都市の便利さでは決して得られない宝物だった。


5日目の旅は、ただ移動するだけではなかった。国境を越えることによって、自分の心の境界も広がっていくのを実感した。この瞬間の積み重ねが、後に人生を大きく変える原体験となった。独身時代にアフリカを旅した記憶は、今も私の中に強烈な印象を残している。そして、その体験をこうして振り返ることで、日々の生活の中に「自由に生きる」という感覚を取り戻せるのだ。


──川滿憲忠

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