独身時代バックパッカーアフリカ編:4日目 サハラ砂漠の一夜と星空の記憶
独身時代にアフリカをバックパッカーとして旅していた頃、4日目はまさに人生の中でも忘れられない特別な一日となった。モロッコからさらに奥へ進み、私が目指したのはサハラ砂漠だった。世界で最も広大な砂の大地に足を踏み入れる体験は、ただの観光を超え、人生観そのものを揺さぶるものだった。
前日の深夜バスで辿り着いた小さな町から、私は現地のガイドと共にラクダに乗って砂漠を進むことになった。背中にリュック一つ、そして水筒。ラクダに揺られながら、目の前に広がる景色はまるで地球の原風景のようで、人の営みがどれほど小さなものかを感じさせた。砂丘の稜線が延々と続き、風が吹くたびに砂が舞い上がり、世界が霞んでいく。そんな中で、自分が「点」でしかないことを痛感する一方、同時にその「点」として生きている奇跡をも感じていた。
昼間の砂漠は灼熱で、ただ立っているだけで汗が流れ落ちる。ガイドは「ここでは無駄な体力を使わないこと」と教えてくれた。砂漠を歩くというのは、ただの散歩ではなく、生死に直結する行為だ。だからこそ、彼らの言葉一つひとつが重く響いた。小さなオアシスで水を分け合いながら、私は「生きる」ということを肌で感じていた。
夕方、ラクダはキャンプ地に到着した。そこには数張りのテントがあり、旅人たちが集まっていた。イタリアから来た若者、フランスから来たカップル、そしてアフリカ各地を回っているというスペイン人。国籍も年齢もバラバラだが、砂漠の中では皆が平等だった。夕食はタジン鍋を囲み、塩気のあるパンをちぎって分け合う。食事を共にするだけで、不思議と深いつながりが生まれていく。旅の醍醐味は、こうした「偶然の出会い」によって人生が彩られる瞬間にあると改めて思った。
そして、夜。砂漠の冷気が体を包む頃、空を見上げた私は言葉を失った。そこには、地平線から地平線までびっしりと敷き詰められた星々が広がっていた。日本で見る星空とは全く別物で、天の川が立体的に浮かび上がり、流れ星が次々と尾を引いて消えていく。文明の灯りが一切ない砂漠だからこそ見える、圧倒的な宇宙の姿だった。私はただ仰向けになり、星を見続けた。人生でこれほど「生きている」と実感できた瞬間はそう多くない。孤独でありながら、宇宙と一体になっているような感覚。旅に出た意味は、この一瞬のためだったのかもしれないと思うほどだった。
星空を眺めながら、私はふと考えた。人はなぜ旅をするのか。便利な街にいれば、食べ物も水も簡単に手に入る。それでも人は、わざわざ不便な場所へ行き、自分を試そうとする。私にとって、それは「自分を小さくするため」だったのかもしれない。日常の中では、自分が中心のように錯覚してしまう。しかし、砂漠に立てば、人間は砂粒以下の存在だ。その事実を知ることで、逆に心が軽くなった。小さなことで悩んでいた自分が、バカらしく思えてくる。砂漠の星空は、私にそのことを教えてくれた。
夜更け、キャンプの仲間たちと焚き火を囲んだ。現地の遊牧民が太鼓を叩き、歌を歌い、私たちも拍手や声で応えた。言葉が通じなくても、リズムがあれば心は通じる。炎が砂に反射し、顔を照らし、笑顔が広がる。見知らぬ者同士が、同じ時間を共有し、同じ星空の下で過ごす。そこには「国境」も「肩書き」もなく、ただ人間としての温かさだけがあった。
その夜、私はテントに入らず、砂の上で眠った。冷たい砂の感触と、頭上の星。時折、砂漠の風が体を撫で、遠くでラクダの鳴き声が響く。眠りと覚醒の間を漂いながら、「これ以上の贅沢はない」と心から思った。お金では買えない体験、自分の足でここまで来たからこそ得られた瞬間。それは独身時代にバックパッカーとして旅したからこそ可能だった贈り物だった。
翌朝、朝日が砂丘から顔を出す瞬間、砂漠は黄金に染まった。夜の星空と同じくらい、朝焼けもまた神々しかった。砂漠は残酷で過酷だが、その美しさは言葉では表現し尽くせない。私は心の中で「ありがとう」と呟き、再びラクダにまたがった。旅は続くが、この4日目に見たサハラの星空は、今も私の心に永遠に刻まれている。
独身時代の旅は、今の自分にとっても大切な財産だ。子育てをする現在、忙しさの中であの日の星空を思い出すと、不思議と力が湧いてくる。人はどこにいても、何をしていても、宇宙の中の一つの点であることは変わらない。その「小ささ」を知ることが、生きる強さにつながるのだと信じている。