メキシコからキューバ、ラスベガス、サンフランシスコ──独身時代バックパッカーの旅総集編
独身時代、リュックひとつで世界を駆け巡った日々。今回振り返るのは、メキシコからキューバ、そしてラスベガスを経てサンフランシスコへ至るまでの旅。全行程を振り返ると、単なる観光や移動の連続ではなく、その土地の空気、人々との出会い、そして自分自身の内面の変化が鮮明に思い出される。
メキシコでは、陽気で力強い街の鼓動に包まれ、キューバでは時が止まったかのような路地裏で人々の笑顔に触れ、ラスベガスでは煌びやかな光の下で、観光客としてではなく一人の旅人として街を歩いた。そしてサンフランシスコでは、坂道と霧の街がこれまでの旅の終着点として静かに迎えてくれた。
メキシコに降り立った瞬間、湿った暖かい空気と混じる香辛料の香りに、旅のスイッチが一気に入った。市場で見た色鮮やかな果物、タコスの屋台から漂う香り、陽気に話しかけてくる商人たち。夜になると広場で音楽が鳴り響き、人々が踊りだす。その中に混ざって踊りながら、「ああ、自分は本当に旅をしている」と感じた。地図もろくに見ずに、路地を曲がりながら偶然出会った人と話をし、教えてもらったローカル食堂で食べる料理は、どんな高級レストランよりも美味しかった。
キューバでは、メキシコからの移動で時差や文化の切り替えが不思議とスムーズだった。ハバナの旧市街に入ると、クラシックカーがゆっくりと通りを抜け、壁のペンキはところどころ剥がれているが、その色褪せた景色がむしろ魅力的だった。朝は地元の人が通うカフェで甘いカフェ・コン・レチェを飲み、昼は日陰で葉巻をくゆらせる老人と世間話。彼らは観光客相手の商売よりも、自分の生活と誇りを大事にしているように見えた。写真を撮らせてもらうときも、ただ「OK」ではなく「なぜ撮りたいのか」を聞かれる。そのやり取りが、旅の質を変えてくれた。
ラスベガスは、これまでの中南米の雰囲気から一転、光と音が洪水のように押し寄せる街だった。カジノフロアの空気は、まるで別世界。だが、そこで感じたのはお金やギャンブルの興奮よりも、人間の表情の変化の面白さ。勝った瞬間の高揚、負けたときの深いため息。それらは、旅をしていなければ見逃してしまう生の感情だった。表通りの華やかさとは裏腹に、少し外れた道には静かなバーや昔ながらの食堂があり、そこで地元の人と話をしながら飲むコーヒーが、煌びやかな夜景よりも心に残った。
サンフランシスコは、この旅の最後にふさわしい落ち着きを持つ街だった。朝、霧が湾を覆い、ゴールデンゲートブリッジが半分だけ姿を見せる光景は、まるで旅の終わりをゆっくり告げる合図のよう。フィッシャーマンズワーフでクラムチャウダーを食べ、ケーブルカーで坂道を登る。観光名所を巡る中でも、ふと路地で見つけた壁画や、小さな古本屋で過ごす時間が、自分の旅のペースを取り戻させてくれた。
この全行程を振り返ると、独身時代のバックパッカー旅は、自由と孤独の両方を味わう時間だった。宿を決めずに移動する自由、そしてその自由の裏にある「すべてを自分で決める孤独」。しかしその孤独は、決してマイナスではなく、自分を強くし、他人とつながる力を与えてくれた。メキシコでの笑顔、キューバでの問いかけ、ラスベガスで見た人間模様、サンフランシスコでの静けさ──どれもが自分の中で生き続けている。
そして、この旅で得た最大の学びは、世界は広く、そして近いということ。遠く離れた土地でも、人は笑い、食べ、語り合う。同じ太陽の下で、それぞれの物語を紡いでいる。そのことを体感できたのは、バックパッカーとして歩いた日々があったからだ。
川滿憲忠