子どもの声を迷惑と決めつける社会──公共空間と親子の居場所について考える

 近年、SNSやネット掲示板を中心に「子どもの声は迷惑だ」「泣き声や騒ぎ声を聞かされると不快だ」といった意見が目立つようになってきました。飲食店や公共交通機関、さらには公園や図書館でさえも、子どもの声に対して過敏に反応し、排除を望む声が増えていることに強い違和感を覚えます。子どもを育てる親として、また公共空間を利用する一人の市民として、この問題をどう捉えるべきか考えたいと思います。


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#### ◆「迷惑」という言葉の安易な使われ方

日本社会では「迷惑」という言葉が非常に強い力を持っています。「迷惑をかけてはいけない」という価値観は、幼少期からしつけとして刷り込まれ、多くの人にとって絶対的な規範となっています。しかし、果たして「子どもの声」は本当に「迷惑」なのでしょうか。


子どもはまだ感情を言葉でコントロールできません。泣くこと、笑うこと、大声を出すことは自己表現であり、成長の一部です。それを「騒音」「迷惑」と断定することは、子どもの存在そのものを否定する行為にもつながります。大人の価値観で線を引き、「静かでなければならない」と決めつけるのは、あまりにも一方的です。


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#### ◆公共空間は誰のものか

飲食店や電車は大人だけの空間でしょうか。もちろん利用規則やマナーはありますが、公共交通機関やファミリーレストランは子どもも含めた「社会全体」のための場所です。にもかかわらず、「子どもは静かにできないから外に出るな」「小さい子を連れてくる親が悪い」といった意見が出ると、まるで公共空間が「大人専用」であるかのような錯覚が生まれます。


本来、公共空間は「多様な人が共存する場所」です。そこには高齢者も、障がいのある人も、そして子どもたちも含まれています。静けさを求める気持ち自体は理解できますが、それを理由に「子どもを排除せよ」という主張になると、共生の理念から外れてしまいます。


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#### ◆「親の責任論」への違和感

「子どもが騒ぐのは親のしつけがなっていないからだ」「泣かせっぱなしにする親が悪い」という声もよく聞きます。確かに、公共空間で最低限の配慮をすることは親の責任です。しかし、それは「完全に子どもの声を消せ」という意味ではありません。


1歳や2歳の子どもに、長時間おとなしく座っていることを求めるのは現実的ではありません。親は周囲に迷惑をかけまいと最大限努力していますが、それでも子どもの声を完全にコントロールすることは不可能です。その現実を無視し、「すべて親の責任」とするのは、あまりにも酷であり、子育て家庭を追い詰める言説です。


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#### ◆社会が「子育て世代を歓迎していない」メッセージ

「子どもの声は迷惑」という風潮が強まることは、社会全体にとって大きな損失です。なぜなら、それは「子育て家庭は外に出るな」「子どもは社会に参加するな」というメッセージとして受け取られるからです。


子育て世代が安心して公共空間を利用できなくなれば、経済活動や地域交流からも排除されてしまいます。外食産業や観光業にとっても、子連れ家庭が利用しにくい空気はマイナスでしかありません。社会全体で少子化が深刻化している今こそ、子どもや親を排除するのではなく、受け入れる方向に舵を切る必要があります。


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#### ◆「寛容さ」という社会資本

かつての日本社会には「お互いさま」という言葉がありました。泣いている赤ちゃんを見ても、「元気でいいね」「うちの子もそうだった」と声をかけてくれるお年寄りがいました。しかし、今は「静かにさせろ」「泣かせるな」と苦情を言う人が増えています。


寛容さは社会資本です。人と人とが支え合い、多少の不便を許し合うことで成り立つものです。寛容さを失った社会は、息苦しさと孤立を生み、やがて誰も安心して暮らせない場所になってしまいます。子どもの声を許容できるかどうかは、社会が成熟しているか未熟かを示す試金石だといえるでしょう。


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#### ◆解決策は「完全な静寂」ではない

ではどうすればよいのでしょうか。答えは単純に「静かにさせる」ことではありません。子どもが過ごしやすい環境を整えること、親が気兼ねなく利用できる空間を増やすこと、周囲の人が「少しぐらいは仕方ない」と思える文化を育むことです。


たとえば、子連れ専用の車両やスペースを設ける試みも一つの解決策です。また、飲食店側も「子連れ歓迎」と明記することで、利用者が安心して選択できるようになります。そして利用者一人ひとりが「今日は子ども連れがいるから少しにぎやかかもしれない」と受け止めるだけで、社会はずっと優しくなるはずです。


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#### ◆「迷惑」を口実にした差別の芽を摘む

「迷惑だから排除せよ」という考え方は、子どもに限らず、あらゆる少数者に向かう危険性を秘めています。障がい者、高齢者、外国人、病気を抱える人…。それぞれに「迷惑」というレッテルを貼れば、最終的に排除されるのは社会の多様性そのものです。


だからこそ、子どもの声をどう受け止めるかは、単なる生活上の不便の話ではなく、社会のあり方に直結しています。排除ではなく共生を選ぶことが、私たちに求められているのです。


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#### ◆おわりに

子どもの声は、未来の社会を担う命の音です。それを「迷惑」と切り捨てる社会に未来はありません。親ができる努力を尊重しつつ、周囲も少しの寛容さを持つ。それだけで公共空間はもっと心地よい場所になるはずです。


子育て世代が安心して外に出られる社会こそ、少子化を克服し、持続可能な社会をつくるための土台です。大人たちの「静けさへの執着」が、未来の子どもたちを追い込むことのないように、今こそ考え直すべき時ではないでしょうか。


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川滿憲忠

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