『いい親』という幻想──完璧を求める社会が子育てを歪める
# 『いい親』という幻想──完璧を求める社会が子育てを歪める
子育てというものは、なぜこれほどまでに「理想像」や「正しさ」が押し付けられるのだろうか。
「いい親」とは何か。多くの人がこの言葉に縛られ、プレッシャーを感じ、他人からの評価に怯えている。だが冷静に考えてみれば、「いい親」の定義など、時代や文化によって全く異なる。にもかかわらず、日本社会では「こうあるべき」という幻想が、あたかも普遍的な正解であるかのように流布されている。私は、この「いい親幻想」が子育てを歪め、親子双方に苦しみを与えていると考えている。
## 「いい親」であろうとする呪縛
SNSや育児本、学校や行政からの発信を見れば、「親はこうあるべきだ」という言説であふれている。
・毎日栄養バランスの取れた食事を作ること
・子どもの勉強を常にサポートすること
・感情的に怒らず、いつも冷静に接すること
・早寝早起きを徹底させること
これらは一見すると素晴らしい指針に見える。しかし現実に、日々の生活を送る親にとって、これらをすべて守ることなど不可能だ。親だって人間であり、仕事や体調、精神状態に左右される。にもかかわらず、社会は「できないこと」を責める。子どもが偏食すれば親の責任。子どもが夜更かしすれば親の怠慢。まるで親の人間性すべてが問われているかのように語られる。
だが実際には、子どもの行動や性質は多様であり、親の努力だけではどうにもならない部分が大きい。完璧を求める視線は、親を追い詰め、自己否定へと追い込む。「自分はダメな親なのではないか」という不安を持つ親ほど、世の中には多いのではないか。
## 「正しい子育て」が生み出す矛盾
「正しい子育て」という言葉もまた危うい。
報道やネット記事で「最近の親は~」と語られるとき、そこには常に「正しい基準」がある。しかしその基準は、誰がどこで決めたのか。食育の分野では「離乳食は生後5か月から」とか「甘いものは2歳までは控えるべき」といった“推奨”が絶対的な正解のように扱われる。だが海外に目を向ければ、全く違う考え方が存在する。ヨーロッパの一部地域では2歳を過ぎても母乳を与え続けることが普通とされているし、アジアの農村では家族の食事を小さく分けて子どもに与えることが当たり前だ。
つまり、「正しい子育て」は絶対的ではない。にもかかわらず日本では、その基準に従わない親を「非常識」と批判する風潮がある。これこそが、「いい親幻想」の最も有害な部分だ。
## 千葉の地方紙で見える構造
たとえば千葉日報などの地方紙に目を向けても、しばしば「親の責任」という言葉が強調される。子どもの事故、いじめ、不登校──記事には必ずと言っていいほど「家庭環境」が結びつけられる。しかし本当にそれだけが原因なのか。教育制度の構造、地域社会のつながりの希薄さ、経済格差といった複雑な要因を抜きにして、「親の責任」に帰結させることは短絡的だ。
報道が「親」という存在を都合よくスケープゴートにすることで、社会の構造的問題は見えにくくなる。これは単なる千葉の話ではなく、日本全体に共通する傾向だ。「親が悪い」と言っておけば、読者の納得感は得られる。しかし、それは真実から目を逸らすことでもある。
## 子どもは「親の鏡」ではない
よく「子どもは親の鏡」と言われる。しかし本当にそうだろうか。確かに、親の習慣や態度が子どもに影響を与えることはある。だが、子どもは親のコピーではない。自分の気質や個性を持ち、独自の経験から学び、成長していく。親がいくら努力しても、子どもがその通りになるわけではないし、むしろならないことの方が多い。
にもかかわらず、「子どもが問題を起こしたのは親の責任だ」と社会は言う。これは子どもを一人の人間として扱わない発想であり、親に過剰な責任を押し付ける態度である。私自身、子どもが1歳や2歳の頃から「よく食べる」「好き嫌いがない」と周囲に驚かれることがある。だがそれは、私が完璧な子育てをしているからではない。ただ子どもの性格や気質がそうなだけだ。親の姿勢はもちろん影響するが、それだけで子どもが形成されるわけではない。
## 「いい親幻想」を超えるために
では、どうすれば「いい親幻想」から解放されるのか。
私は次のように考える。
1. **比較をやめること**
他人の子育てと自分の子育てを比べない。発達のスピードも、好みも、家庭環境も違う。比べれば必ず「できていない部分」が見えてしまう。
2. **情報を鵜呑みにしないこと**
ネット記事や報道は、一つの視点でしかない。絶対的な正解のように書かれていても、それはあくまで「一つの意見」にすぎない。
3. **子どもを一人の人間として尊重すること**
子どもは親の「作品」ではない。親が正解に導く対象ではなく、共に成長する存在だ。
4. **不完全さを認めること**
親も人間だから、失敗もあるし、できないこともある。それを否定するのではなく、「それでもいい」と認める姿勢が大切だ。
## 終わりに
「いい親」であろうとするあまり、親自身が疲弊し、子どもにとっても窮屈な家庭になるのでは本末転倒だ。
社会や報道が押し付ける幻想に振り回される必要はない。子どもと向き合い、共に笑い、時に失敗しながら歩んでいくことこそが、子育ての本質だと私は思う。
私は「いい親」ではない。ただ、子どもと共に生きる一人の親である。それで十分ではないだろうか。
川滿憲忠