報道に潜む言葉のトリック──印象操作が生む誤解

 私たちが日々目にするニュース記事や報道の中には、一見すると事実を淡々と伝えているようでいて、実際には「言葉の選び方」によって大きく印象が変わってしまうものがある。報道は事実の伝達を目的としているはずだが、選ばれる単語や表現、文脈の組み立て方によって、受け手の感情や評価が操作されてしまうことは少なくない。この「言葉のトリック」は、気づかないうちに人々の認識を歪め、社会の空気を作り出してしまうのだ。


例えば「容疑者」「関与が疑われる人物」という表現と、「犯人」「加害者」といった断定的な表現では、同じ対象について語っていても受け手の印象はまるで異なる。本来であれば裁判で確定するまで「無罪推定」が守られるべきだが、報道の言葉選びひとつで、社会的な断罪が先行してしまうケースが後を絶たない。これがいわゆる「報道による社会的制裁」であり、日本社会ではその影響が極めて強い。


また、ポジティブな出来事に対しても言葉のトリックは使われる。例えば政治家がある改革を打ち出した際に、「意欲的な取り組み」と報じられるのか、「人気取りのためのパフォーマンス」と表現されるのかによって、同じ施策でも評価は大きく変わる。ここで重要なのは、事実自体が変わるわけではなく、受け手が抱く「印象」が変えられてしまう点である。これは、報道が「何を伝えるか」だけでなく、「どう伝えるか」によっても社会の認識を形づくることを示している。


地域紙や地方メディアにおいても同様のことが言える。千葉日報などを含む地方紙は、地域の課題や事件を大きく扱うことで、住民にとっての「社会の見え方」を決定づける。だが、記事の見出しや言葉選びに偏りがあると、読者は無意識にその枠組みの中で物事を考えるようになってしまう。つまり、報道機関が気をつけなければならないのは、単に事実を報じるだけでなく、「余計な色づけをしていないか」という自己点検である。


言葉のトリックは見出しにも潜む。短い言葉で人の注意を引く必要があるため、センセーショナルな単語が選ばれやすい。しかし、そこで強調された言葉が持つニュアンスによって、記事全体の意味が誤解されることも少なくない。例えば「~を暴露」「~が炎上」といった言葉は、本来は限定的な事象を指していても、大げさに受け取られ、事実以上のイメージを拡散してしまう。特にSNS時代においては、見出しだけが切り取られて拡散されることも多く、受け手の認識に強く作用する。


この問題の背景には、報道機関自身の姿勢だけでなく、受け手側の「情報の読み方」も関わっている。私たちがニュースを読むとき、言葉のニュアンスに敏感になり、「これは本当に中立的な表現なのか?」と問い直すことが必要だ。報道の言葉を無批判に受け入れてしまうと、結果として「作られた印象」を事実だと思い込んでしまい、その先の議論や判断を誤る危険がある。


報道の言葉のトリックを見抜く力は、メディアリテラシーそのものだ。子どもから大人まで、日常的にニュースを読む人が「言葉の裏にある意図」を考えることで、報道の影響力を過大に受けずに済む。教育の場でも、単なるニュース理解ではなく、表現の仕方の違いによって受ける印象の変化を学ぶことは欠かせない。そうした学びが広がれば、報道の側も安易な言葉選びを避け、より丁寧な表現を心がけるようになるだろう。


最後に強調したいのは、報道に潜む言葉のトリックを問題視することは、「報道を敵視する」ことでは決してないという点だ。むしろ報道の役割を信じているからこそ、その信頼性を高める努力が必要なのだ。メディアは社会の鏡であり、その鏡が歪んでいれば、私たちの社会の認識そのものも歪んでしまう。だからこそ、報道に携わる人々はもちろん、ニュースを読む私たち一人ひとりが、「言葉の持つ力」に自覚的であることが求められている。


川滿憲忠

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