“綺麗すぎる街”で見た、もう一つのメキシコ──僕と10歳の少年の10分間
旅をしていると、美しさに惹かれてしまう。SNSで見かけた絶景、フォトジェニックな街並み、有名な観光スポット。それらは確かに魅力的で、訪れる価値があるものだ。でも同時に、そうした“魅せる側面”だけを追ってしまうと、その土地の本当の姿を見落としてしまう。
メキシコ・グアナフアトから移動してきたサンミゲル・デ・アジェンデは、まさに“綺麗すぎる街”だった。整った建築、清潔な街路、美しい広場。どこを切り取ってもポストカードになりそうな光景が広がっている。観光としては大成功なのだろう。でも、僕は少し物足りなさを感じていた。
そんな気持ちで広場を歩いていると、声をかけられた。「靴、磨きませんか?」振り返ると、10歳くらいの少年が、靴磨きの道具を手に立っていた。
僕は立ち止まり、彼に磨いてもらうことにした。
座った瞬間、彼の手が動き出す。慣れた手つき、無駄のない動き。プロの仕事だった。年齢なんて関係ない。そこには“技術”と“誇り”があった。
言葉は少なかったけど、「毎朝働いて、午後から学校に行ってる」とだけ教えてくれた。10歳の少年が、自分で稼ぎ、学び、家族を支えている。その事実を、観光気分でふらっと来た僕は、どう受け止めればいいのか分からなかった。
日本で“子どもが働く”というと、すぐに“搾取”や“問題”とされる。でも彼には、悲壮感はなかった。むしろ“誇り”があった。それが僕には、眩しく見えた。
サンミゲルという街は、美しい。でもそれだけでは語れない。そこに生きる人々の姿が、その街の“リアル”を作っている。僕は一瞬、彼の人生の断片に触れただけ。でも、その10分が、SNSに投稿するどんな写真よりも深く、僕の心に刻まれた。
ネットでは「メキシコは危ない」とか「発展途上国の現実は暗い」と語られることも多い。でもそれは、視点の問題だ。誰かを“かわいそう”と決めつける前に、その人が何を感じて、どう生きているかを想像してみるべきだと思う。
僕はフェルナンドと出会って、またひとつ「知らなかった現実」を知った。旅は、そういう出会いでできている。
美しい街で、忘れられない“リアル”に触れた一日だった。