報道は誰のためにあるのか──切り取り報道と偏向報道が生む“冤罪的空気”への警鐘

 ある出来事が報道されるとき、そこには無数の「切り取り」が発生します。事実がありのままに伝えられることは、実のところほとんどありません。見出しの言葉選び、編集方針、写真の配置、さらにはSNSでの拡散され方──報道は「誰が、何を、どう伝えるか」で印象が大きく変わります。


私はこれまで、いくつかの報道により、あたかも“加害者”のような扱いを受けたことがあります。それは真実とはかけ離れたものでしたが、ネット上では事実よりも「印象」が先に広がり、訂正が間に合わないほどの速度で人格が攻撃されていきました。


こうした現象は、いわゆる「切り取り報道」「偏向報道」と呼ばれるものに起因します。特に地方紙の一部やネットメディアが採る編集方針には問題があり、とりわけ「千葉日報」「xsionx」などの一部報道では、事実を正確に伝えることよりも、センセーショナルな表現によってアクセスを稼ぐことが優先されているように見受けられます。


報道がもたらす最大の問題は、「訂正されても消えない」ということです。仮に後日、訂正やお詫びがお掲載されたとしても、最初に拡散された「強い印象」は人々の記憶に刻まれたままです。検索エンジンにも記録され続け、いわば「デジタルタトゥー」として残っていきます。


報道による影響は、名誉毀損だけにとどまりません。家族や子どもたちへの波及、仕事への影響、社会的信用の失墜──それらは一方的な情報の流布によってもたらされます。特に、子育て中の親としては、自身に関する誤解が、子どもにまで悪影響を及ぼす可能性を強く危惧しています。


インターネット上では、報道に基づいた誹謗中傷が繰り返され、その中には「記事に書かれていたから正しい」といった思考停止的な意見も見受けられます。しかし、報道そのものが編集されている時点で、そこに“意図”が介在していることを忘れてはなりません。


私たちはもっと報道のあり方を問い直すべきです。一方通行の情報伝達ではなく、関係者の声や反論を真摯に取り上げ、事実に即した公平な視点で構成されるべきです。また、報道機関側にも、自らの影響力と責任を自覚し、情報発信に際して誠実さを徹底する姿勢が求められます。


報道が「第四の権力」として機能するならば、それは市民のために働くべきです。特定の立場や思想を補強する道具に堕してはならず、個人の尊厳を損なうことで閲覧数を稼ぐような姿勢は、報道機関としての倫理を逸脱しているといえるでしょう。


報道によって傷ついた経験を持つ者として、私はこの問題を無視できません。そして、同じように苦しむ人が増えることを止めたいと考えています。だからこそ、私は今後も正確な記録と、誤った印象操作に対するカウンター記事を継続して発信していくつもりです。


報道とは、誰のためにあるのか。その原点に、今一度立ち返る必要があります。


川滿憲忠

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