バックパッカーアフリカ編|独身時代の23日目の旅路と心境
バックパッカーとしてアフリカを旅した独身時代、23日目の朝を迎えたとき、自分の中で旅のリズムが完全に体に染みついていることに気づいた。最初の頃は、毎朝目を覚ますたびに「今日はどこへ向かうのか」「宿は見つかるのか」と不安でいっぱいだった。しかし3週間以上も旅を続けると、その不安はむしろ心地よい緊張感へと変わり、予測できない出会いや出来事をむしろ楽しみに待つようになっていた。
この日は、前日まで滞在していた小さな町から、やや大きな都市へと移動する計画を立てていた。町のバスターミナルに向かうと、埃っぽい空気とともに、現地の人々がひしめき合いながら行き先を叫ぶ声が響いていた。路線バスというよりも、定員オーバーでぎゅうぎゅう詰めのミニバスに近い。荷物は屋根の上に積み上げられ、人々はその下で談笑したり、食べ物を分け合ったりしている。旅人としての自分は、その雑多なエネルギーに圧倒されつつも、少しずつ溶け込めるようになっていた。
道中、隣に座った青年が気さくに話しかけてくれた。彼は英語を少し話せたので、拙い会話ながらもお互いの旅路や夢について語り合うことができた。彼は農村の出身で、都市での仕事を探す途中だったという。その表情からは、期待と不安が入り混じった複雑な感情が読み取れた。彼の語る現実は、旅人である自分には想像の及ばない苦労を伴っていたが、それでも前へ進もうとする姿勢に強い刺激を受けた。
昼過ぎ、目的地に到着すると、そこは市場を中心に活気づいた町だった。香辛料や果物の香りが立ち込め、カラフルな布をまとった女性たちが行き交う。自分は荷物を背負ったまま市場を歩き、食堂のような小さな店に入り、現地の料理を味わった。辛い煮込み料理に、素朴な主食が添えられた一皿。どこか家庭的な味わいに、心が満たされていくのを感じた。
午後は町を歩き回りながら、宿を探した。観光地ではないため、バックパッカー向けのゲストハウスは少なかったが、地元の人に教えてもらった簡素な宿に泊まることにした。部屋は電気も不安定で、シャワーは水しか出ない。それでも、屋根があり眠れる場所があるだけでありがたく思えた。旅を始めた頃の「最低限の快適さが欲しい」という気持ちは次第に薄れ、「生きていければ十分」という感覚に変わっていた。
夜、宿の前で焚き火を囲んでいる人々に混じり、星空を見上げながら語らった。電気が乏しい町だからこそ、空に広がる星の数は圧倒的で、まるで天の川が手に届きそうなほどだった。その光景を眺めながら、自分はなぜこの旅をしているのかを改めて考えた。新しい場所を見たい、知らない文化に触れたい、そして何より、自分自身を知りたい。そんな動機がすべて混じり合い、自分を突き動かしているのだと感じた。
23日目という節目に近い日に、ふと思ったのは「旅は日数ではなく、出会いと体験の濃さで刻まれていく」ということだった。たった1日の出来事が、何年も心に残ることがある。この日もまた、出会った青年の言葉や市場の風景、星空の輝きが、自分の中で一生ものの記憶として刻まれていった。
独身時代にしかできなかったこの無計画なバックパッカーの旅は、決して快適ではなかったが、確かに心を豊かにしてくれた。後に家庭を持ち、子育てを経験するようになったとき、こうした日々の記憶が自分の中で支えとなった。困難な状況に出会っても、「あのときアフリカで乗り越えたのだから大丈夫だ」と思えるようになったからだ。
23日目の旅の終わりに、宿の薄暗い部屋で眠りにつきながら、自分は次の目的地に思いを馳せていた。まだ見ぬ村や町、まだ出会っていない人々。そのすべてが、自分を待っているように感じられた。そして心のどこかで「この旅はいつか必ず書き残すべきものになる」と思っていた。その思いが、今こうして文章として形になっているのだろう。
川満憲忠