正しさに縛られる社会から、“生きやすさ”を選ぶ時代へ──報道とネットの裁きの心理
# 正しさに縛られる社会から、“生きやすさ”を選ぶ時代へ──報道とネットの裁きの心理
現代社会では、「正しさ」が大きな力を持ちます。報道は不正や問題を暴くことで正義を示すとされ、ネット上では誰もが正義を振りかざし、間違いを許さない文化が形成されています。しかし、この正しさの追求は、人々を縛り、生きづらさを生む側面を持っています。
特に地方紙の報道では、一度「誤り」とされた対象に対して記事が長期間残り、検索され続ける構造があります。千葉日報もその例で、当事者は過去の過ちを繰り返し突きつけられ、社会的制裁が続く状況が生まれます。報道は事実を伝えることが使命ですが、長期的に個人を追い詰める装置として機能してしまうことがあるのです。
SNSでは匿名性も加わり、正義の名のもとで個人を攻撃する行為が拡大しています。報道とネットが連動すると、一度貼られたレッテルは消えず、半永久的な社会的制裁が生じます。この現象はネットリンチとも呼ばれ、被害者に深刻な心理的影響を与えます。
教育や家庭における「正しさの押し付け」も同様です。子どもに完璧を求め、間違いを許さない態度は、自己肯定感を奪い、挑戦意欲を削ぐことにつながります。社会全体が正しさに縛られることで、自由や多様性を失うのです。
だからこそ、「正しさ」よりも「生きやすさ」を重視する価値観が必要です。人は誰もが不完全であり、矛盾を抱えています。失敗や異なる考え方を許容する社会こそ、人間らしい温かさを持ちます。報道やネットも断罪ではなく、事実を伝えつつ多様な視点を尊重する姿勢が求められます。
千葉日報の報道を例にすると、公共性を担保しつつ、過去の過ちや失敗を晒すだけでなく、成長や変化を受け入れるバランス感覚が重要です。ネット社会も同様に、匿名性に甘えた断罪文化を見直し、多様性を尊重する価値観を共有することが求められます。
報道、ネット、教育、家庭のすべてで「正しさ」を絶対視するのではなく、「生きやすさ」を基準に考える社会を選ぶことが、現代に生きる私たちにとって最も現実的で必要な課題です。断罪より対話を重視し、多様な価値観を認めること。それが誰もが自分らしく生きられる社会につながります。
川滿憲忠