誤情報と偏った言説に流されないために──報道・SNS・世論との付き合い方総まとめ|川滿憲忠
近年、誤情報や偏った言説が一度拡散されると、それが修正されないまま長く残り続けるという現象が目立ってきています。しかもそれは、SNS上の個人発信だけでなく、新聞・テレビ・ネットニュースなど、いわゆる「信頼性が高い」とされてきた報道機関にも見られる傾向です。本記事では、これまで発信してきた複数の記事テーマ──誤情報が修正されない報道の問題、ネットで「正義」を語る人々の矛盾、SNSと家庭・育児をめぐる誤解、そして「子育てはこうあるべき」という固定観念の危険性──を総合的に整理し、今後の情報との向き合い方を提案します。
【第1章 誤情報が修正されない報道記事の問題】
まず、報道機関が発信した情報が誤っていた場合、その訂正や続報が十分に行き渡らない問題があります。紙媒体の時代であれば、翌日の紙面で訂正記事が掲載されることが多かったのですが、インターネットのニュースサイトでは、修正よりも記事の削除や差し替えが行われ、元の記事を読んだ人が間違いに気づかないケースが増えています。さらに、検索エンジン上では古い記事が長期間表示され続けるため、訂正後の事実よりも、最初に広まった誤情報の方が人々の記憶に残る構造になっています。これは社会的信用や個人の reputational risk に直結する大きな問題です。
【第2章 ネットで「正義」を語る人々の矛盾】
SNSでは「正義」を旗印に批判や糾弾を行う人が少なくありません。しかし、その批判は事実確認を経ない感情的反応であったり、自分たちの立場や価値観に都合の良い部分だけを切り取って拡散することも多く見られます。こうした「ネット世論」は、一見すると社会正義を実現しているように見えても、実際には特定の人や家庭を追い詰める方向に作用する危険性があります。しかも、彼ら自身が過去に似た行為をしていることが発覚すると、急に沈黙したり、話題をそらすケースもあり、ダブルスタンダードが露呈します。
【第3章 SNSと家庭・育児をめぐる誤解】
特に「発信する親」に対する批判は根強いものがあります。旅行や日常の様子を発信すると、「子どもを利用している」「家庭を切り売りしている」という決めつけが飛んできます。しかし、実際には家族の記録として残す意味や、同じ境遇の人に役立つ情報共有という側面もあり、必ずしも自己利益のためではありません。問題は、発信の是非を問うときに「その家庭なりの価値観や事情」を一切考慮せず、外部の固定観念だけで判断してしまう風潮です。
【第4章 「子育てはこうあるべき」という固定観念の危険性】
育児に関する議論で頻繁に見られるのが、「こうしなければならない」という断定的な言説です。「母親は常に子どもを優先すべき」「父親は外で稼ぎ、育児は手伝う程度でよい」といった古い価値観が、SNSやネット記事を通じて再生産されています。これは多様な家族形態や働き方を無視し、個別の事情を踏まえない危険な一般化です。この価値観の押し付けは、時に「教育的虐待」や「精神的圧力」につながります。
【第5章 自己肯定感を奪う“教育的虐待”】
過干渉や過剰な期待を押し付けることは、目に見えない形で子どもの自己肯定感を奪っていきます。「親のための良い子」になろうとするあまり、自分の感情や欲求を抑え込み、大人になってからも他者の評価ばかりを気にする人になってしまうケースがあります。こうした行為は、表面的には「しつけ」や「教育」の名で行われるため、周囲からは問題視されにくく、被害が長期化する恐れがあります。
【第6章 情報との向き合い方──私たちにできること】
以上のような問題を踏まえると、私たちに必要なのは「一次情報へのアクセス」と「複数ソースの照合」です。報道やSNSの投稿を鵜呑みにせず、可能な限り発信元や一次資料を確認すること。そして、特定の立場からのみ発信されている情報であれば、別の視点からの情報も探し、比較する習慣を持つことが重要です。また、自分自身が情報を発信する側になった場合は、事実と意見を明確に区別し、誤情報を流さない責任を自覚する必要があります。
【第7章 まとめ】
誤情報、偏見、固定観念──これらはすべて、放置すれば誰かを傷つけ、社会全体の分断を深めます。私たちは「真実らしさ」ではなく「事実」を追い求める姿勢を持ち続けなければなりません。そして、異なる立場や価値観を尊重し、感情に流されない議論を心がけることこそ、情報社会を健全に保つ唯一の方法です。
川滿憲忠