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7月 16, 2025の投稿を表示しています

日常にドライブの風を

気分転換をしたいと思ったとき、私がよく選ぶのがドライブだ。 エンジンをかけ、好きな音楽をかけて、窓を開ける。 目的地があってもなくても、車を走らせるだけで、心が整っていく感覚がある。 特に最近は、日々の忙しさの中で頭がごちゃごちゃになる瞬間も多い。 そんなとき、車の中という小さな空間は、外界と自分を切り離してくれるちょうどいい場所になる。 誰にも邪魔されず、ただ道と風と景色に身を委ねる。 この時間が、意外と深いリフレッシュになるのだ。 近所の海まで行ってみたり、あてもなく山道を登ってみたり。 特別な景色を見に行く必要はない。 コンビニの駐車場でコーヒーを飲んで戻ってくるだけでもいい。 大事なのは「動くこと」であり、「離れること」だ。 運転中に聞くラジオや音楽も、心の動きにリンクしてくる。 昔よく聞いていた曲が流れてきて、思い出に浸ることもあるし、初めて聞くポジティブな曲に背中を押されることもある。 車の中は、そういう感情を安心して感じられる特別な場所なのかもしれない。 日常の中にある「移動」ではなく、日常から一歩離れるための「ドライブ」。 ほんの数十分でも構わない。 風を受けて走るという行為には、気持ちをリセットする力がある。 帰ってきたとき、さっきまで抱えていたものが少し軽くなっている。 たとえ状況は何も変わっていなくても、自分の感じ方が変わっている。 そんなドライブが、私は好きだ。 川滿憲忠 note アメブロ

漫画に救われる日常

ふとした瞬間に手に取る漫画。その一冊が、思いのほか心を軽くしてくれることがある。 仕事や家事、育児、人間関係――日常の中で抱える小さなストレスやモヤモヤは、放っておくとだんだん心に重くのしかかってくる。そんな時、私はよく漫画を読む。特に、笑える作品やゆるい日常系のものを手に取ることが多い。 漫画には、現実から少しだけ離れさせてくれる不思議な力があると思う。キャラクターの一言にクスッと笑ったり、何でもないやりとりに癒されたり、ページをめくるたびに気持ちが少しずつほぐれていく。 好きな作品の世界観にどっぷり浸かることで、思考が整理される感覚もある。難しいことを考えずにすむ時間、ただ物語に身を任せるだけでいい時間。そんな時間を自分に許すことが、結果的に明日を前向きに生きる力になる。 最近では、デジタルで漫画を読む人も増えているけれど、私は紙の本が好きだ。ページをめくる感触、インクの匂い、重み――それら全部が心地いい。お気に入りの作品を本棚から取り出して、何度も何度も読み返す。たとえストーリーがわかっていても、読むたびに新しい発見がある。 「このキャラのこういう台詞、今の自分に刺さるな」 そんなふうに感じる時、漫画はまるで心の鏡のようだと思う。読む側の心の状態によって、同じ作品がまったく違って見えるから面白い。 漫画は決して“暇つぶし”ではない。私にとっては、立派な心のメンテナンスツール。時には笑わせてくれ、時には泣かせてくれ、時には背中を押してくれる。何気ない日常の中に、そっと寄り添ってくれる存在。 何かに行き詰まった時、気持ちが沈んでしまった時、どうしても自分を責めてしまう時。そんな時は、ぜひ漫画を読んでみてほしい。 そこには、あなたの気持ちを代弁してくれる言葉が、きっとある。 川滿憲忠 note アメブロ

焼肉がくれる、ちょっとした幸せ

「今日は焼肉にしよう!」 その一言が、日常に彩りを添えてくれる。 スーパーでお肉を選びながら、すでにわくわくしている自分がいる。 牛カルビに豚バラ、シンプルな鶏モモ。 タレに漬けるのか、塩で焼くのか、それを考えるだけでも楽しい。 帰宅してホットプレートを出すと、家の空気が一気に明るくなる。 「今日は焼肉なんだ!」と家族の笑顔があふれる瞬間。 じゅうじゅうと焼ける音、香ばしい香り。 食卓を囲んで同じ鍋を囲むような温かさが、そこにある。 焼肉って、料理の中でも特別な存在だと思う。 お皿に盛られて出てくる料理とは違って、自分で焼く、焼いてあげる、取り分ける。 そのやり取りの中に、会話や笑顔が生まれる。 特別な日じゃなくても、焼肉は“ご褒美”になる。 そして、疲れていたはずの心が、焼肉を囲んでいるうちにいつの間にか癒されていく。 一人で焼く焼肉も、意外と悪くない。 お気に入りの音楽をかけて、ゆっくり焼きながら一口ずつ味わう。 そんな静かな時間も、また一つの贅沢だ。 「美味しい」って思える時間を、自分で作る。 その感覚が、生活に前向きさを与えてくれる。 焼肉は、ただの料理じゃない。 人の心を元気にしてくれる、魔法のような時間なのだ。 川滿憲忠 note アメブロ

いつもの日常が、私を癒してくれる

ここ最近、大きな出来事は何もないけれど、それが逆にありがたいと感じています。 以前は、ネット上の些細なことに心が引っかかっていました。 検索に自分の名前が残っていること、過去のことがいつまでもつきまとうこと。 それが、どこか自分の現在まで否定されているようで、苦しかった。 でも今は、日常が少しずつ、私を癒してくれています。 朝のコーヒー。 夕方の空の色。 スーパーで手に取る食材。 それら一つひとつに、落ち着いた気持ちで向き合えるようになりました。 過去の出来事は消せないし、ネットに残ってしまったことも現実です。 だけど、それは今の私を表しているわけではありません。 私は私で、ちゃんと前に進んでいる。 過去と向き合う強さを持ちながら、日常の中に小さな喜びを見つけていく。 それが、今の私の生き方です。 少し前の自分には想像できなかった穏やかさを、今は感じています。 焦らなくていい。 戦わなくていい。 静かな日常の中で、自分を取り戻していけばいいんです。 川滿憲忠 note アメブロ

少しずつ、確実に、前へ進む日常

最近、日常の中でふとした瞬間に、過去の記憶がよみがえることがあります。 道端の風景や、聞き覚えのある音楽。 それらが、昔のことを静かに思い出させてくれます。 以前はそれだけで心が揺れ、動けなくなるようなこともありました。 けれど、今は違います。 日々のルーティンが少しずつ、自分を落ち着かせてくれるようになりました。 朝のコーヒー。 洗濯物を干す時間。 夕方の散歩。 それらを積み重ねていくことで、今の自分を再構築していけるような気がしています。 過去を消すことはできない。 でも、今を選ぶことはできる。 “あの頃”の自分に戻る必要はない。 今の自分を、今のまま認めてあげること。 検索に名前が残っていても、それが全てではない。 今の私は、もう違う世界を見ている。 そう言えるようになった日々が、今ここにあります。 小さなことでも、丁寧に。 心の声を無視しないように。 そんな毎日が、私を前に運んでくれるのだと感じています。 川滿憲忠 note アメブロ

赤ちゃんと過ごす、かけがえのない時間

赤ちゃんとの日常は、毎日が新鮮な驚きに満ちています。 朝目覚めてこちらを見て笑う表情。 それだけで気持ちがふわっと軽くなります。 言葉はまだ話せなくても、 目と目を合わせるだけで、しっかりと通じ合っている気がします。 オムツ替え、授乳、寝かしつけ…… ルーティンに見えるその一つ一つが、 実はとても貴重で愛しい瞬間です。 成長のスピードに驚かされる日々。 昨日までできなかった動きが、 今日は少しだけできるようになっている。 その「少しの変化」がとても嬉しい。 大変なことも多いです。 泣き止まなかったり、寝てくれなかったり、 こちらの思い通りにはいかないことばかりです。 でも、ふとした瞬間の寝顔や笑顔に、 そのすべてが癒される。 毎日は忙しくて、疲れもたまるけれど、 それでも「この子と過ごせる今」という時間は、 何ものにも代えがたい宝物なのだと、心から思います。 この先どんなふうに成長していくのか、 不安もあるけれど、それ以上に楽しみが大きい。 今日という日も、大切に積み重ねていきたい。 川滿憲忠 note アメブロ

山で深呼吸するということ

ふと、「山へ行きたい」と思うときがあります。 本格的な登山をするわけではありません。 険しい山道を制覇することが目的ではなく、 ただ静かに、深呼吸をしたいのです。 そしてそれに一番ふさわしい場所が「山」だと、自然に感じるのです。 先日、久しぶりに小さな山へ足を運びました。 神社の横を抜け、鳥居をくぐると、 空気の匂いが一気に変わったのが分かりました。 街中では感じない、土と緑の香り。 そして耳に入ってくるのは鳥の声と、風の音だけ。 歩を進めるたびに、余計な考えごとが少しずつ削ぎ落とされていく感覚がありました。 「自分が自然の一部になっていく」 そんな不思議な心地よさが広がっていきました。 ベンチに腰掛け、目を閉じると、 ただ風の音と、木の葉が揺れる音だけが響きます。 この「何もない時間」が、 とても豊かな時間だと改めて気づかされます。 日々の生活に追われる中では、 なかなかこうした静けさに身を置くことができません。 でも、だからこそ、意識的にこうした場所に来ることが必要なのかもしれません。 またこの道を歩こうと思いました。 同じ景色でも、私の心の状態が違えば 見えるもの、感じるものはきっと変わっているはずです。 自然と向き合う時間は、 自分自身と向き合う時間でもあるのだと、そう感じた一日でした。 川滿憲忠 note アメブロ

夕立がくれる、一瞬のドラマ

午後の空は平穏でした。 蝉の声が響き、湿った風が肌をなでていく。 そんな空気の中に、どこか緊張感のようなものを感じていました。 「そろそろ来るな」と、思ったその直後、空が急に暗くなりました。 雷鳴が遠くから聞こえ、そして突然、激しい雨が降り始めました。 夕立です。 近年はゲリラ豪雨という言葉で語られることが多くなりましたが、 私はこの「夕立」という言葉の響きに、どこか風情を感じてしまいます。 子どもの頃、夕立は遊びの延長でした。 帰り道でずぶ濡れになったり、軒下で友達と笑いながら雨宿りをしたり、 何でもない時間が楽しかった。 今では、そんな風景を懐かしみながら、 窓の外に落ちる雨粒を眺めています。 コーヒーを片手に、ただ静かに音に耳を傾ける。 それだけで、いつもの日常が少しだけ特別に感じられるのです。 15分ほどで雨は止み、空には虹が出ていました。 まるで何もなかったかのような穏やかさが戻るその様子は、 自然の優しさすら感じさせます。 こうした一瞬の変化が、記憶に残っていくのだと感じます。 夕立はただの気象現象ではなく、 私たちの感情にもそっと影を落としていくものです。 今日の夕立も、きっと忘れない。 そんな風に思えた夕暮れでした。 川滿憲忠 note アメブロ

雨の日に、心が少し落ち着く理由

窓の外から聞こえてくる雨音は、まるで心を静かに整えてくれるようなリズムです。 朝からしとしとと降り続く雨。 洗濯物が乾かない、外に出るのが億劫になる——そんな理由で、雨は敬遠されがちですが、 実は雨の日にしか味わえない心地よさもあります。 部屋の空気が少し湿って、肌にやさしく触れるような感覚。 そして、雨粒が窓を叩く音や地面に跳ねる音が、 まるで自然が奏でる音楽のように感じられるのです。 かつては私も雨が苦手でした。 外出先で濡れることがストレスで、気分も沈みがちだった。 しかし、ある日ふと「雨の日は、自分を見つめ直すのにちょうどいい」と思うようになりました。 晴れの日は元気が出る反面、どこか落ち着かず予定に追われがち。 でも雨の日は、少し立ち止まってもいいと思わせてくれます。 今日は、本を片手に温かい紅茶を飲みながら、 静かに窓の外を眺めていました。 特別なことはしていません。 けれど、それだけで心はスッと落ち着いていくのが分かります。 現代は、音や情報にあふれています。 その中で、雨の「静けさ」は貴重な休息。 もし今、少し心が疲れているのなら、 雨の日にあえて何もしない時間を持ってみてください。 雨音を聴きながら、ただぼーっとする。 それだけで、気持ちが整理され、明日を迎える準備ができるかもしれません。 川滿憲忠 note アメブロ

夏の午後、静けさに包まれて思うこと

昼過ぎの静けさには、少しだけ切なさが混じっている気がします。 外では蝉の声が遠くで響いていますが、それすらもリズムのように聞こえてくる夏の午後。 ふと窓の外を見ると、アスファルトの熱気が揺れ、人の気配も少なく、まるで時間が止まっているかのようです。 こういう夏の午後は、特別なことをしなくても、ただ「生きている」ことが充分なんじゃないかと感じます。 扇風機の音に包まれながら、冷たい麦茶をひとくち。 そのまま天井をぼーっと見つめているだけで、なんだか心が整っていくのです。 子どもの頃の夏休みも、こんな午後がたくさんありました。 どこかに出かけたりしなくても、静かで、満たされていた時間。 あの頃の「何もしない午後」が、今の自分を支えてくれているような気がします。 大人になると、日々に追われて、 「何かしなきゃ」と思ってしまいがちです。 でも、夏の午後のような「空白」の時間が、 本当はすごく大事なのだと感じます。 誰とも話さなくてもいい。 スマホも見ず、ただ風に身を任せて。 それだけで、心はふっと軽くなる。 何かに疲れている人、焦っている人、 どうしても前に進めないと感じている人にも、 ぜひ「静かな午後」を持ってみてほしい。 何もしていない時間こそが、自分を取り戻す時間かもしれません。 川滿憲忠 note アメブロ

駅前で見かけた親子の会話に心があたたまった日

駅前のロータリーを歩いていると、小さな男の子の声が聞こえました。 「ママ!見て!鳩がいっぱいいるよ!」 その子は、背中にリュックを背負っていて、まだ幼稚園か小学校低学年くらいでしょうか。 目の前の鳩を指差しながら、お母さんらしき女性に話しかけていました。 「本当だね。鳩さんもお散歩かな?」 そう言って微笑む母親の声に、私は思わず足を止めてしまいました。 マスクをしていても、目の表情でちゃんと笑っているのが伝わってきました。 特別な会話ではありません。 ただ鳩を見つけて、それを一緒に見て笑っているだけ。 でも、その空気がどこかあたたかくて、心に残ったのです。 駅前では、親子のさまざまな姿を見かけます。 怒鳴っている人、無言でスマホを見つめる人、子どもだけがはしゃいでいる人。 でも今日のあの親子は、まるでやさしい風のような存在でした。 私たちの日常は、小さな出来事の積み重ね。 ニュースにもならないし、記録にも残らないけれど、 そうした一瞬一瞬が、心をそっと支えてくれるのです。 帰り道、子どもの頃の記憶がよみがえりました。 母と手をつないで歩いた商店街。 おしゃべりしたこと、笑いあったこと。 全部をはっきり覚えていないけれど、「あたたかい記憶」として残っています。 きっと、あの男の子にとっても、 今日の「鳩さんとの会話」は、大切なやさしい記憶になるのでしょう。 そんな風景に出会えたことが、今日の私にとって一番の出来事でした。 川滿憲忠 note アメブロ

夏の朝、静かな時間

夏の朝は早く目が覚めます。 空がうっすらと明るくなると、不思議と身体が反応して自然と目が開きます。 窓の隙間から入る空気は、クーラーのいらない涼しさ。 キッチンに立ち、やかんに水を入れて火をつける。 その間に、コーヒー豆を挽く。 ゴリゴリとした音が静かな部屋に響き、豆の香ばしい香りが広がっていく。 ドリップしている間、ベランダへ出ると、 まだ陽の昇らない空が青白く、遠くで鳥がさえずっている。 少しひんやりした風が、心にすっと通り抜ける。 こんな静かな時間こそが、自分を取り戻す瞬間。 ニュースもSNSも見ずに、ただ風と音と空に意識を向ける。 部屋に戻り、コーヒーを片手にノートを開く。 誰に見せるでもない、自分だけの言葉を自由に書く。 「書く」という行為が、自分の内側を見つめ直すきっかけになる。 陽が昇り、光が部屋に射し込む頃、ようやく一日が始まったと感じる。 今日という一日も、何気ない日になるかもしれません。 でも、この朝の時間があるから、私はまた穏やかに前に進めるのです。 静かな夏の朝。それは、私の中の「きれいな時間」。 川滿憲忠 note アメブロ

何もない日も、悪くない

今日も特にこれといった出来事はありませんでした。 朝起きて、軽く朝食をとり、洗濯機を回す。 スーパーで買い物をして、帰ってから昼ご飯を作り、 午後は少し読書をして、夕方には近所を散歩。 本当に、それだけの一日。 でも、こういう「何もない日」が、案外心に余白をくれるのです。 世の中には刺激的な話題や、ドラマのような展開ばかりが 取り上げられがちですが、 毎日がそんな風に目まぐるしかったら、たぶん疲れてしまうでしょう。 特別な予定がないこと。 やらなきゃいけないことが終わって、少しの時間が残っていること。 それって実は、すごく貴重でありがたいことなんだと思います。 ベランダに出て、雲の流れをぼんやり眺めていたら、 なんともいえない穏やかさが心を包んでくれました。 ただの空なのに、癒される不思議。 時間に追われることなく、ただ「今」を感じられる瞬間。 それは、何よりも贅沢かもしれません。 忙しい日が続くと、「今日は何もしなかった」と後悔しがちですが、 本当は「何もしない日」を意識して持つことが、 自分を整える鍵になるような気がします。 だから私は、こういう日も肯定したい。 SNSに載せるような華やかな出来事もないし、 人に話すようなネタもない。 でも、心は落ち着いています。 毎日が特別じゃなくていい。 たまには、何もない日があっていい。 むしろ、そういう日があるから、 ちょっとした出来事が輝いて見えるのかもしれません。 今日の私は、「何もしないこと」をしていた。 それでいい。 それがいい。 川滿憲忠 note アメブロ

ありふれた日常の中にある、ささやかな幸せ

何気ない日々の中で、ふとした瞬間に感じる“幸せ”。 それは、特別な出来事ではありません。 むしろ、日々のルーティンや当たり前の風景のなかに、 そっと潜んでいるものです。 たとえば、朝のコーヒーの香り。 ふわっと立ちのぼる湯気のなかに、ほんの少しの安堵を感じます。 スーパーでお気に入りの惣菜が割引になっていたときの、 思わずニヤけてしまう気持ち。 ベランダで干した洗濯物が太陽の匂いを纏っているときの、 あの清々しさ。 どれも、誰かにとってはただの風景かもしれません。 けれど、自分にとってはかけがえのない「気づき」だったりします。 忙しさや情報に追われていると、 そういう小さな幸せを見落としてしまいがち。 でも、深呼吸して足元を見つめてみると、 案外すぐそばにあるものだとわかります。 「もっと何かをしなきゃ」と焦る日もある。 「このままでいいのかな」と不安になる日もある。 それでも、何も起きていない日常こそ、 本当は一番ありがたいのかもしれません。 この前、道端で花を見かけました。 名前も知らない、小さな白い花。 ふと立ち止まって眺めてみたら、 心がふっと軽くなった気がしました。 人は、何かを得た時よりも、 何かに「気づいた」時のほうが幸せを感じるのかもしれません。 だから私は、今日も目の前の一日を丁寧に過ごしていきたい。 洗濯物をたたむときも、スーパーで選ぶ食材も、 一つひとつの動作の中に、 自分なりの「大切」を見出していきたい。 そして、そんな日々が積み重なった先に、 少しずつでも、明るい未来が待っている気がしています。 今日も、ごく普通の一日が過ぎていく。 でもそのなかに、いくつも幸せの種があった。 それに気づけたことが、今の私の幸せ。 川滿憲忠 note アメブロ

日々の小さな選択が未来をつくる

朝起きて、何気なく選ぶシャツの色。 お昼に食べるもの、どの道を歩くか、誰に「おはよう」と声をかけるか。 私たちは一日に何百、何千という選択をしている。 そのひとつひとつが、たしかに「今の自分」をつくっている。 今日の私は、ベランダに干していた洗濯物を取り込むとき、 いつもより少し丁寧にたたんだ。 それだけで心が整った気がした。 きっと人は、「きっかけ」を自分の中に持っている。 何かを変えたいと思ったとき、何かが足りないと感じたとき、 その答えはもう、すぐ目の前にある。 それは大きな挑戦ではなく、 たとえばコーヒーをハンドドリップにしてみるとか、 歩いてスーパーへ行ってみるとか、 使っていないアプリをひとつ消すとか、 そんな「小さな選択」にある。 最近、毎日が少しずつ変わってきた。 それは、暮らしが豊かになったというよりも、 自分の中の“感覚”が変わった気がしている。 なんとなく過ごしていた時間の中に、 「好き」「気持ちいい」「落ち着く」といった感情が、 少しずつ混ざるようになってきた。 たとえば、夜、窓から入ってくる風の匂いを感じてみる。 子どもが笑ったとき、自分も思わず笑ってしまう。 誰かにありがとうを言われて、なんだか照れくさいけど嬉しい。 そういう瞬間に、毎日が少しだけ光を帯びて見える。 未来に向かって、すぐに答えを出そうとしなくていい。 むしろ、ゆっくりでいいと思う。 小さな選択を丁寧に繰り返すことで、 私たちはきっと、ちゃんと前に進んでいけるのだから。 今日の選択が、明日の自分をつくる。 そう思うと、いつもの道もちょっとだけ違って見えた。 川滿憲忠 note アメブロ

何気ない毎日が、心を整えてくれる

忙しい毎日でも、ふと心が整っているなと感じる瞬間がある。 今朝もそんな朝だった。 洗濯物を干し終えて、キッチンの窓を開けたとき。ふっと入り込んできた夏の風。 蝉の声が遠くで響き、レモンの葉に朝の光が反射する。 「ああ、今日もまた始まるな」 そう思った。 特別なことは何もない。だけど、確実に一日が始まっていく。 それだけで、不思議と安心する。 以前の自分は、未来のことばかりを気にしていた。 あれができていない、これも終わっていない。 周りと比べて焦って、自分を責める日もあった。 でも今は、小さな「できた」を見つけることが嬉しい。 ごはんをつくる。洗濯をする。 庭の水やりを忘れずにする。それだけで「今日もよくやった」と思える。 日々の習慣が、少しずつ心のバランスを整えてくれている。 誰かと会話をすること、道を歩くこと、子どもと過ごす時間も。 そのひとつひとつが、今の自分を支えてくれている。 過去に縛られそうになる日もあるけれど、 今をちゃんと歩くことで、心は確かに前を向ける。 自分の気持ちに素直でいたい。 誰かにどう見えるかではなく、自分がどう感じているかを大切にしたい。 今日も、スーパーの帰り道でふと空を見上げた。 電線に並んでいるスズメたちが、まるで「今日もおつかれさま」と言っているようだった。 そんな日常が、今の自分にはちょうどいい。 川滿憲忠 note アメブロ

スーパーでのちいさな出会い

日常の中で、ふと心が温かくなる瞬間がある。 今日、近所のスーパーでそんな出来事があった。 冷房の効いた店内を歩きながら晩ごはんの食材を選ぶ。その何気ない時間が、実は思考を整理する大事な時間でもある。 野菜やお肉、調味料などを手に取っていたとき、小さな女の子とおばあちゃんの会話が耳に入ってきた。 「これ、お母さんに買って帰ったら、きっと喜ぶよね」 「そうね。○○ちゃんが選んでくれたって言ったら、うれしいと思うよ」 そんな何気ない会話に、思わず心がほぐれた。 自分も小さい頃、母とスーパーへ行き、「今日は一つだけよ」と言われながらお菓子を選んだ思い出がよみがえった。 スーパーは、ただ食材を買うだけの場所ではない。 そこには毎日、ささやかな人間模様がある。 誰かが誰かのことを想って選ぶ買い物。 ちょっとした会話の中ににじむ優しさ。 レジに並ぶ列でも、見知らぬ人が「先にどうぞ」と声をかける瞬間がある。 日々の生活の中にある、ほんの一瞬のあたたかさ。それが意外と、心に残ったりする。 そんなことを思いながら、スーパーをあとにした。 今日もまた、小さな優しさに出会えた日だった。 川滿憲忠 note アメブロ

コーヒーに癒やされる朝時間

朝、まだ誰も起きていない時間に、静かにコーヒーを淹れる。 この時間が、一日の中で最も好きなひととき。 豆を挽き、お湯をゆっくりと注ぎ、香りが立ち上る瞬間。それだけで、今日も心が整っていくのを感じる。 忙しない日々の中で、こうした“心の余白”を持つことはとても大切だと思う。 使っているのは、特別な道具でも、希少な豆でもない。けれど、「自分のために丁寧に淹れる」という行為が、心を穏やかにしてくれる。 湯気が立つキッチン。音もなく、ただコーヒーの香りだけが空間を包む。 そんな中で、今日一日の流れを考えたり、昨日の出来事を思い返したり、ふとした夢に思いを馳せたりする。 そうした小さな時間の積み重ねが、自分という人間を支えてくれているような気がする。 コーヒーを飲み干す頃には、気持ちが整い、自然と「今日もやっていこう」という前向きな気持ちになっている。 日常の中にある、ほんの少しの癒し。そのひとつが、僕にとってはこの朝のコーヒー時間だ。 川滿憲忠 note アメブロ

蝉の声とともに感じた、夏のひととき

朝から蝉が鳴いている。 それだけで、季節がすっかり夏に切り替わったことを教えてくれる。 昔は当たり前のように聞いていた蝉の声も、大人になった今では少し遠い存在になっていた。忙しさの中で、ただ「うるさい」と感じることもあった。 けれど、今日は違った。 朝、水やりのためにベランダに出た時、遠くの木からジジジジ……と蝉の声が聞こえた。その瞬間、ふっと心がほぐれた。暑いけれど、それが「夏の生命力」だと思えた。 蝉は、地中で何年も過ごし、成虫として生きるのはほんの数週間。その短い時間を、あれだけ懸命に鳴き続ける姿には、何か強いメッセージがある。 「今、この瞬間を生き切ること」 そんな純粋さを思い出させてくれる。 いつもの日常に、こんなにも力強いメッセージが潜んでいるなんて。 今日の蝉の声は、私にとって小さな応援だった。明日も、そんな音に耳を傾けてみたい。 川滿憲忠 note アメブロ

アゲハ蝶の成長記録|3匹目・17日目

今日で3匹目のアゲハ蝶の幼虫は、17日目を迎えました。 緑色になってから丸一日が経過し、体はさらにふっくらとし、体長はおよそ3cmほどに。 動きはゆっくりになってきたものの、時折頭をもたげ、周囲を伺うような行動も見られます。 朝は気温が低かったためかじっとしていましたが、昼を過ぎると活発に動き始め、特に橙の葉を夢中で食べていました。 新芽の柔らかい部分を選んで食べているようで、少しだけグルメになってきた印象もあります。 糞の量と大きさも順調に成長している証拠。見ていて頼もしさすら感じます。 蛹になる兆しはまだなく、今日も「青虫らしい一日」でした。 ふと「大きくなったね」「元気かい?」と話しかけると、触角がぴくっと動いたような気がしました。 命との小さな会話。それだけで嬉しくなります。 明日も元気に過ごせますように。 川滿憲忠 note アメブロ