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8月 28, 2025の投稿を表示しています

独身時代バックパッカーアフリカ編:15日目 サハラの小さな村で感じた人の温かさ 川満憲忠

15日目は、旅の中でもとりわけ印象に残る一日となった。サハラ砂漠の縁に位置する小さな村にたどり着いたのだ。前日の夜行移動で疲れ切った身体を抱えながら、私はバスを降りた瞬間、乾いた風と共に流れ込む砂の匂いに圧倒された。広がるのは無限の地平線。都市の喧騒や観光地の整った景色とは異なり、そこには「暮らす人の生活そのもの」があった。 村に入ると、子どもたちが元気に走り寄ってきた。彼らの笑顔は、旅の疲れを一瞬で吹き飛ばしてくれる。言葉は通じなくても、手を繋いで案内してくれる姿に、人と人との距離を縮めるのに言葉が必ずしも必要でないことを教えられた。 昼食は、村の家族が誘ってくれた小さな家でいただいた。タジン鍋の湯気が立ち昇る食卓に座り、手でパンをちぎりながら分け合う。豪華ではないが、温かさと誠実さが詰まった食事だった。彼らは見知らぬ旅人に食事を分け与え、笑顔で「ここはあなたの家だ」と伝えてくれる。その言葉の重みを、私は深く感じた。 午後は、村の井戸まで一緒に水を汲みに行った。長い道を歩きながら、女性たちが大きな壺を頭に載せて運ぶ姿を見て、日々の営みの大変さを目の当たりにした。観光者として訪れる私は、彼らの暮らしをほんの一瞬だけ覗いているに過ぎない。しかし、その一瞬が、私の価値観を変えるのに十分だった。 夜、砂漠の空は満天の星で覆われた。人工的な光が一切なく、空一面が宝石のように輝いている。村人たちと焚き火を囲み、音楽と手拍子が響く中で、私は「旅は人に出会うことそのものだ」と改めて確信した。宿もない村で寝袋を広げ、砂の上に横になりながら、心の底から「この瞬間に出会えてよかった」と思えた。 独身時代のバックパッカー旅では、不安や孤独も多かった。しかし、こうした瞬間があるからこそ、旅を続けていけるのだと思う。15日目のこの体験は、アフリカで得た「人の温かさ」を象徴する一日となった。  川滿憲忠

独身時代バックパッカー旅:アフリカ14日目の出会いと学び

 独身時代にアフリカをバックパッカーとして旅した経験は、今の私にとってかけがえのない財産となっている。14日目を迎えたこの日もまた、予想もしていなかった出会いや体験が待ち受けていた。アフリカの大地は一日ごとに表情を変え、旅人に新たな学びを与えてくれる。そんな日々の積み重ねこそが、旅を通じて私の価値観を深く揺さぶり、今に続く人生の軸を形成していったのだと思う。 この日は、現地の小さな町で迎えた朝から始まった。前日までの移動はバスと乗り合いタクシーを繰り返し、身体は正直疲れていた。しかし、町の人々の穏やかな生活のリズムに触れると、不思議と疲れは薄れていく。市場の一角では、子どもたちが笑顔で果物を売り、女性たちが談笑しながら商品を並べていた。旅行者としてその光景を見ていると、日常の中にあるエネルギーと温かさを強く感じる。都会で効率やスピードばかりを求めていた生活とは全く異なる、時間の流れに身を委ねる感覚だった。 特に心に残ったのは、地元の青年との出会いである。英語が通じるかどうかも分からない中で、彼は片言の言葉と豊かなジェスチャーで、町を案内してくれた。観光地ではない路地裏や、地元の人だけが知る食堂を紹介してくれ、そこで食べたスパイスの効いた料理は今でも忘れられない。旅をしていると、ガイドブックには載っていない瞬間こそが記憶に残るのだと、この時改めて実感した。 また、この日は現地の学校を訪れる機会にも恵まれた。青年の知り合いが教師をしており、短い時間ではあったが授業の様子を見学することができた。生徒たちは皆、目を輝かせながら学びに向き合っていた。机も椅子も揃っていない教室だったが、そこにあったのは教育を通じて未来を切り開こうとする真剣な姿だった。私はその場で、改めて「学ぶことの力」を強く思い知らされた。日本で当たり前のように享受していた教育が、どれほど尊いものであるかを痛感した瞬間である。 午後は再び市場を歩きながら、青年と旅の話を交わした。彼は自分の町を誇りに思っており、同時に外の世界にも憧れていた。インターネットやテレビで見た「世界」を知りたいという欲求を持ちつつも、日々の生活に追われてなかなか実現できないと言っていた。その言葉を聞きながら、私は「旅ができる自分」がどれほど恵まれているかを改めて考えさせられた。彼にとっては夢のような「外の世界」が、私にとっては...

子どもの食への姿勢と親の関わり:千葉から考える食育の新しい視点

 私は1歳と2歳の息子を育てています。偏食はなく、好き嫌いもほとんどありません。作ったものは何でも食べ、初めて口にするものには形式的に「美味しいね」と声をかけています。こうした姿勢は、決して無理強いではなく、子どもが自分で食べたいと感じる気持ちを尊重しながら、食べる楽しさを自然に伝えるためのものです。 今日の例では、塩だけをかけたキャベツサラダを息子に出しました。生のキャベツは子どもにとって美味しいとは感じにくいかもしれませんが、彼は欲しそうに見つめてきました。「たべたい?」「ちょーだい」「1口だけね」と声をかけ、一口食べさせると少し戸惑った表情で「美味しい」と言いました。私自身は「生のキャベツなんて…」と思いながらも、「今日はこれだけしかないから、次回はもっと用意しておくね」と伝え、無理なく終わらせました。 このやり取りから感じるのは、子どもは親の姿勢をよく見ているということです。親が楽しそうに食事をしていると、子どもも自然と食べ物に興味を持ち、偏食や好き嫌いが少なくなる傾向があります。逆に、親が「食べなさい」と強制したり、嫌いなものを無理に口に入れさせると、子どもは食事に対してネガティブな感情を抱きやすくなります。 日本の離乳食文化には、一定のタイミングで離乳食を始めるべきというガイドラインがあります。しかし、実際には母乳やミルクを望む子どもも多く、無理に離乳食を始めさせる必要はないのではないかと感じています。5歳まで母乳やミルクを続ける家庭もあり、子どもの個性に応じて柔軟に対応すべきだと思います。 食育は、単に栄養や料理法を教えることだけではなく、子どもが食に興味を持ち、自分の意思で食べる力を育むことが大切です。親が楽しんで食べる姿を見せる、子どもの食べる意欲を尊重する、無理に押し付けない。この3つのポイントを意識するだけで、食育の効果は大きく変わります。 私たち親が忘れがちなのは、子どもは親の鏡であるということです。食事に対する姿勢、食べる楽しさを伝える行動、食べ物への好奇心は、親の行動から学びます。だからこそ、家庭での食事は教育の場であり、日常の小さなやり取りが子どもの人格形成に影響するのです。 千葉で育児をする中で、地域の食材や旬の野菜を活かした簡単な料理を取り入れることも意識しています。地元で採れた野菜を使ったサラダや、ほんの少しの調味料で素材...

正しさに縛られる社会から、“生きやすさ”を選ぶ時代へ──報道とネットの裁きの心理

# 正しさに縛られる社会から、“生きやすさ”を選ぶ時代へ──報道とネットの裁きの心理 現代社会では、「正しさ」が大きな力を持ちます。報道は不正や問題を暴くことで正義を示すとされ、ネット上では誰もが正義を振りかざし、間違いを許さない文化が形成されています。しかし、この正しさの追求は、人々を縛り、生きづらさを生む側面を持っています。 特に地方紙の報道では、一度「誤り」とされた対象に対して記事が長期間残り、検索され続ける構造があります。千葉日報もその例で、当事者は過去の過ちを繰り返し突きつけられ、社会的制裁が続く状況が生まれます。報道は事実を伝えることが使命ですが、長期的に個人を追い詰める装置として機能してしまうことがあるのです。 SNSでは匿名性も加わり、正義の名のもとで個人を攻撃する行為が拡大しています。報道とネットが連動すると、一度貼られたレッテルは消えず、半永久的な社会的制裁が生じます。この現象はネットリンチとも呼ばれ、被害者に深刻な心理的影響を与えます。 教育や家庭における「正しさの押し付け」も同様です。子どもに完璧を求め、間違いを許さない態度は、自己肯定感を奪い、挑戦意欲を削ぐことにつながります。社会全体が正しさに縛られることで、自由や多様性を失うのです。 だからこそ、「正しさ」よりも「生きやすさ」を重視する価値観が必要です。人は誰もが不完全であり、矛盾を抱えています。失敗や異なる考え方を許容する社会こそ、人間らしい温かさを持ちます。報道やネットも断罪ではなく、事実を伝えつつ多様な視点を尊重する姿勢が求められます。 千葉日報の報道を例にすると、公共性を担保しつつ、過去の過ちや失敗を晒すだけでなく、成長や変化を受け入れるバランス感覚が重要です。ネット社会も同様に、匿名性に甘えた断罪文化を見直し、多様性を尊重する価値観を共有することが求められます。 報道、ネット、教育、家庭のすべてで「正しさ」を絶対視するのではなく、「生きやすさ」を基準に考える社会を選ぶことが、現代に生きる私たちにとって最も現実的で必要な課題です。断罪より対話を重視し、多様な価値観を認めること。それが誰もが自分らしく生きられる社会につながります。 川滿憲忠

独身時代バックパッカー アフリカ編13日目:サハラの砂漠と人との出会い

バックパッカーとしてアフリカを旅した独身時代、13日目の記録は、サハラ砂漠で過ごした一日と、そこで出会った人々との交流について書き残したい。砂漠はただの大自然ではなく、そこに生きる人々の歴史と文化、そして私自身の心を深く映し出す鏡のような存在だった。 早朝、まだ夜の気配が残る時間にテントから出ると、空一面に無数の星が広がっていた。日本では決して見られないような星の濃さ。深呼吸すると乾いた空気が肺にしみ込み、砂の冷たさが足の裏に伝わった。昨日の夕暮れにラクダに揺られて辿り着いた小さなオアシスの村。そこに住むベルベル人の家族が、私を温かく迎えてくれた。 彼らの朝は、驚くほど静かで穏やかだった。焚き火に小さな鉄鍋を置き、ミントティーを淹れる。甘く、そして清涼感のある香りが漂い、砂漠の乾いた空気に広がっていく。その一杯を口にした瞬間、旅の疲れがすっとほどけていくのを感じた。どこにいても「お茶」を分かち合う文化は、人と人との距離を近づけるのだろう。 昼前、私は現地の若者に誘われ、砂丘を越えて別の集落まで歩いてみることにした。太陽は容赦なく照りつけ、気温はどんどん上がっていく。しかし、彼らは慣れた足取りで砂の上を進んでいく。私はというと、すぐに息が上がり、足が砂に取られて思うように進めない。彼らは笑いながら待ってくれ、時には手を差し伸べてくれた。その優しさに、言葉以上の絆を感じた。 道中で出会った遊牧民の老人は、静かな目で私を見つめながら、砂漠を生き抜く知恵を語ってくれた。水をどのように見つけるか、風の向きで方角を知る方法、ラクダの足跡から群れの状態を見抜く術。どれも私には未知の世界で、ただただ感嘆するばかりだった。文明の便利さに囲まれて生きてきた私にとって、その知識は生命に直結するものであり、言葉通り「生きる力」そのものだった。 午後になると、砂漠の景色は一変した。陽炎が揺れ、砂の色が赤く染まり、空との境界が曖昧になっていく。その幻想的な光景に、私はしばらく立ち尽くした。写真では決して伝わらない世界。体験した者だけが知る「砂漠の魔法」だった。 夜、再び星空の下で焚き火を囲む。ベルベル人の家族と、旅の仲間となった若者たちが歌を歌い、太鼓を叩く。そのリズムに合わせて、自然と体が揺れ、笑い声が広がっていった。言葉は通じなくても、音楽とリズムが心を繋ぐ。私はその瞬間、「旅をしていてよ...