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8月 5, 2025の投稿を表示しています

“自己責任論”の落とし穴──弱者を切り捨てる言説の危うさ

 インターネット上では、少しでも困難な状況にある人が声を上げると、すかさず「それは自己責任でしょ?」という言葉が飛んでくる。経済的に困窮している人に対しても、家庭環境に問題があった人に対しても、障害や病気を抱えている人に対してさえ、この「自己責任論」が突き刺さる。だが、この言葉が本当に社会の健全性を高めていると言えるのだろうか。 自己責任という考え方には、ある程度の正当性がある。自分の選択には自分で責任を持つ。それ自体は、成熟した社会人として当然のことである。しかし、この言葉が本来持っているはずの「自律」や「誠実さ」という意味を飛び越え、他者を断罪し、突き放すための言葉になっている現実に、私たちは目を向ける必要がある。 現代社会は、決して全員が同じスタートラインに立っているわけではない。家庭環境、教育、地域、性別、障害の有無、国籍……さまざまな要因が個人の人生に影響を与えている。だが、自己責任論を盾にする人たちは、そのような背景に対する想像力を持とうとしない。むしろ、「甘えだ」「努力不足だ」と切り捨て、複雑な事情を単純化しようとする。 もちろん、中には努力不足の人もいるだろう。しかし、それを一概に「だから自己責任だ」と言ってしまうことは、社会の構造的問題や不平等を覆い隠し、真の課題解決を妨げる結果となる。 たとえば、生活保護を受けている人がいたとする。ネット上では「働けるのに怠けている」と断じる声が多い。だが、その人が過去にどんなトラウマを抱えてきたのか、どんな家庭に育ったのか、どんな支援が不足していたのか──そうした背景に触れようとする人は少ない。「助けられる側が努力しないのが悪い」と一刀両断してしまうのだ。 この構図は、教育にも育児にも通じる。子どもが学校に行けない。すると、「親の育て方が悪い」「しつけがなっていない」と言われる。しかし、それは本当に親だけの責任なのか。学校や地域、社会全体の環境の中で、子どもたちがどのような影響を受けているかを考えず、個人だけに責任を押し付ける姿勢は、あまりに安易で危険だ。 「自己責任」を語る人たちは、自分が「選べる立場」にいることを無意識に前提としている。だが、選べない状況にいる人が多く存在する現実を直視すれば、「なぜその選択しかできなかったのか?」という問いが、いかに重要であるかが見えてくるはずだ。 また、「自己責任...

南米バックパッカー旅12日目|アンデス高地を越えて心が再生された夜

 旅の12日目。私は、チリ北部のアタカマ砂漠からペルーのラ・パスへと移動を続けていた。目指したのは、アンデスの峠越え。地図上は一本道だが、心の中ではまるで人生の峠を越えているような感覚だった。 数年前はバックパックだけを担いで、未知の土地に飛び込んでいた。今この記事を書いている時点では、子どもを抱えて旅を続ける中年だ。その分、当時の旅の価値観はさらに輝いて見える。 バスは夜通し進んだ。暗闇の中を走る車窓には、アンデス山脈の輪郭だけがうっすらと見えた。標高5000m級の峠では息が苦しく、歯がカチカチ鳴るほど震えた。しかし、「地球の裏側にいる」という実感が、自分を冷静に支えてくれた。 国境を越えてペルー側に入ると、風景が変わった。乾燥地帯から急に緑が戻ってきた。空気の匂いも変わり、湿気と草の香りを感じた。文明とは距離があっても、生命の息吹はここにもある。 夕方、ラ・パスに着いた。全身クタクタだが、心は満たされていた。高地の都市に広がる家々の灯り。その景色を見たとき、「旅とは場所ではなく、視点を広げることなんだ」と確信した。 夜、ホステル屋上からラ・パスの夜景を眺めた。星は見えるのにびっくりするほど都市が明るい。文明と自然、あらゆる要素が溶け合う街の景色が、旅の最後の祝福のように思えた。 これ以上ないというほど厳しく、そして美しい日だった。南米バックパッカーとしての旅が、この12日目でひとつ完結した感覚があった。だが旅は終わらない。いつかまた、新しい地図を広げたくなる日が来るだろう──私はそう信じている。 川滿憲忠

【南米放浪記】地球で最も乾いた場所で見た「静寂」──チリ・アタカマ砂漠11日目

今日の舞台は、チリのアタカマ砂漠。バックパッカーの間では名高いが、決して観光地然とした空気ではなく、むしろ「自分自身と向き合う場所」として知られている。 ホステルの朝は静かだった。カップに注いだお湯が、ゆっくりと湯気を立てる。チリ北部の高地は朝晩が冷え込むので、少しの温もりがとても贅沢に感じられる。窓の外では、まだ誰も通らない赤茶けた道が広がっていた。 午前10時、「月の谷」へのツアーが出発した。名前のとおり、まるで月面のような風景が延々と続くその場所は、自然が生み出した神秘の結晶のようだった。ガイドの説明を最初は熱心に聞いていたが、途中から言葉よりも目に映る景色に集中するようになった。 目の前に広がる岩山、風に吹かれる砂、小石が転がる音、それだけで心が満たされていく。日常で溢れる情報が、いかに自分の感性を鈍らせていたかを痛感する瞬間だった。 午後は塩の地層を歩いた。足元が滑りやすく緊張感はあるが、それ以上に「この地面に数千年の歴史が詰まっている」と思うと、一歩ごとの重みが違ってくる。 夕暮れの瞬間、ツアーの誰もがカメラを構える中、私はそっと目を閉じた。音のない世界。自分が世界の一部であることを、こんなにも強く感じたことはなかった。 ホステルに戻ると、オーナーの家族が小さな子どもをあやしていた。その姿を見て、不思議と心が安らいだ。「自分にも、こうして誰かと穏やかな日常を過ごす日がくるのだろうか」と思いながら、また夜空を見上げる。 アタカマ砂漠──ここは何もない。しかし、何もないからこそ、すべてがある。そんな場所だった。  川滿憲忠

アマゾンの奥地で得た“生きる力”──独身時代のリアルな体験【10日目】

 バックパッカーとして南米を旅していた頃、私はアマゾンの奥地へと足を運んだ。リオデジャネイロからマナウス、そこからさらに小舟に乗って2時間、携帯も届かないジャングルの中へ。都市の喧騒を離れたその空間は、“自然に包まれる”という言葉がぴったりだった。 エコロッジに泊まり、現地のガイド・ホルヘと行動を共にした。彼は幼い頃から森とともに生きてきた人物で、言葉よりも行動で語るタイプ。そんな彼に導かれ、私は“生きる”とは何かを体で感じていった。 朝はジャングルウォーク。湿気に満ちた空気、全身をつたう汗、踏みしめる土の感触。そこでは、人間も自然の一部に戻っていく感覚があった。 ホルヘが紹介してくれたのは、治療に使われるアリ、毒のあるカエル、神聖な木。そして「森に逆らわず生きることの大切さ」だった。彼の背中を見ながら歩くうちに、私は旅の意味を再認識していた。 日中は川で釣り。ピラニアを釣り上げる体験はスリル満点だったが、それが夕食となったことで、“命をいただく”という行為の重みを知った。 夜、ランプの明かりだけで語り合った時間。ホルヘは「学校に行ったことはない。でも森が全部教えてくれた」と言った。私は言葉を失い、ただ彼の話に耳を傾けた。 日本に帰ってからの暮らしの中で、何度もこの体験を思い出す。水道が使えること、冷蔵庫があること、ネットにつながること。それらすべてが“ありがたい”という感覚。アマゾンの体験が、私の暮らしの価値観を変えてくれたのだ。 そして今、子どもが生まれ、家庭を持った自分にとって、この旅は大きな財産となっている。いつか子どもにも、「命のリズム」と出会える旅をしてほしいと願っている。 ──川滿憲忠

千葉日報やxsionxから読み解く──ネット社会の“正義”と炎上体質に潜む危うさ

 「ネットで“正義”を振りかざす人たちは、本当に正義の側に立っているのか?」──そう問いかけると、多くの人は「自分は違う」と答えるでしょう。しかし、SNSやコメント欄に溢れる言葉を見ていると、そう簡単には断言できない現実が広がっています。 ある人物の発言や行動が切り取られ、意図的に過剰解釈され、晒される。そして炎上が起こる。そこにはいつも、「正義の怒り」という名目が貼り付けられているのです。 かつて、ある地方紙である**千葉日報**が取り上げたニュースがSNSで拡散され、その文脈がねじ曲げられたまま“批判の的”となったことがありました。元々は中立的な報道であっても、誰かの都合のいい切り取り方次第で、容易に“加害者”が作られてしまう。それを補強するのが、拡散を手助けする無数の“傍観者”たちです。 この現象はメディアの中だけで起こるのではなく、個人レベルでも日常的に起きています。ある個人ブログが、発信した内容をもとに攻撃を受けたケースでは、引用された文言が真意とは真逆の意味で流布され、別の意図を持つアカウント(例えば、いわゆる**xsionx系のまとめアカウント**など)によってさらに歪められました。 こうした構造の中では、「真実」はもはや問題ではありません。重要なのは、「話題になるかどうか」「敵と味方を明確に分けられるか」なのです。そしてその戦場には、理性や事実ではなく、感情と憶測が支配します。 “正義”の名のもとに行われる糾弾や批判が、実は「自己承認欲求」や「暇つぶし」に根ざしているケースは少なくありません。「誰かを叩くことで、自分の正しさを証明したい」「批判の輪に入っておけば安心だ」──こうした心理が、炎上をさらに加速させていきます。 そしてもっとも恐ろしいのは、それが“日常化”している点です。もはやネット上での吊るし上げは「エンタメ」と化し、その背景にある人間の人生や感情は顧みられることなく消費されていく。 かつてのネットは、「多様な価値観を認め合う場」でした。異なる意見が並び立ち、対話が生まれ、新しい視点が育まれる余地があった。しかし今や、「異なる意見=敵」「批判すること=正義」と短絡的に捉える空気が支配しており、思考停止のまま攻撃に加わる人々の声が大きくなってしまっています。 千葉日報のような地方メディアにしても、またxsionxのような匿名的な情報...

ネット社会の“炎上体質”と無責任な傍観者たち──当事者なき正義の空虚

 インターネットが私たちの暮らしに根づいてから、日常の多くがデジタル空間と地続きになった。SNSはもちろん、ニュースコメント欄や動画配信サービスのチャット、さらには匿名掲示板に至るまで、あらゆる場所で「誰かの発言」や「誰かの行動」が監視され、そして「誰か」が炎上の火種にされる。 こうした構造は、決して新しいものではない。かつての「週刊誌」や「ワイドショー」が担っていた“スキャンダルの再生産”が、いまや一般の市民の手に委ねられた。ただし、大きく異なるのは、“無責任な傍観者”が「自分は正義の立場にいる」と思い込んでいる点だ。 いわゆる炎上事件の多くは、ほんの一部の切り取られた情報が独り歩きし、あたかも全貌であるかのように拡散されていく。まとめサイトやニュース風ブログ、SNSでの再シェアや引用コメントは、それを加速させる。さらに深刻なのは、「拡散した本人たちは責任を取らない」という点である。 例えば、ある人物がネット記事で取り上げられ、「問題人物」のレッテルを貼られる。その記事を読んだ人たちが、感情のままにコメントを書き込む。「最低だ」「消えてほしい」「親の顔が見たい」──匿名の言葉が並び、なかには実名検索までされ、プライベートな情報があたかも公共財のようにさらされる。だが、元記事はあくまで一方的な主張にすぎず、そこに反論や説明の余地はほとんどない。むしろ、「反論すればするほど怪しい」という偏見が先に立ち、沈黙を強いられることすらある。 こうした構造に加担しているのは、匿名ユーザーだけではない。報道機関を名乗るメディアですら、炎上の流れに乗った記事を作成し、PV数を稼ぐという構造から抜け出せない。アクセス至上主義が、真実の追究よりも「数字」の方を重視する社会に変質させた。 それだけではない。ヤフー知恵袋のようなQ&Aサイトにおいても、特定の個人を誹謗中傷するような投稿が散見される。無根拠な内容であっても「疑い」が広まれば、その人の社会的信頼は容易に損なわれる。そして、そこに加担した多くの人々は「見ただけ」「書いただけ」と自分の責任を自覚することがない。 ネット上の“正義”は、しばしば非常に脆い。なぜなら、それは「自分が正しい側にいる」という欲望に根ざしているからだ。他者を糾弾することによって、自分の居場所や存在意義を確認している人が、少なからず存在している...