投稿

8月 4, 2025の投稿を表示しています

“支援”という名の監視──家庭に踏み込む社会の違和感

 「子育て支援」という言葉には、誰もが一見して安心感を覚える。親をサポートし、子どもを守り、社会全体で育てていく。そんな理想を描いた政策や取り組みは、今やあらゆる場面で語られるようになった。 だが本当に、それは“支援”なのか。 近年、「支援」の名のもとに家庭に介入する動きが、徐々に強まっている。特にSNSや学校、地域社会の中では、「正しい子育て」が半ば強制されるような空気すら存在する。 母親が一人で子どもを連れていると「大丈夫ですか?」と声をかけられ、少しでも疲れている様子があれば「支援が必要では?」と通報される。公園でスマホを見ているだけで「子どもを見ていない親」とSNSで晒される。こうした状況は、「支援」というよりも「監視」に近い。 もちろん、本当に危険な状況にいる家庭への介入や通報は必要だ。だが、問題なのはその“線引き”の曖昧さだ。 誰がどの基準で「支援が必要」と判断するのか。誰が「正しい育児」「普通の家庭」の定義を決めるのか。 その判断が個人の感情や偏見に基づいている場合、「支援」は容易に“攻撃”に変わる。 特にネット上では、「子どものために言っている」と称して他人の育児を非難する言説が多い。「公園で寝転んでいる子どもを放っていた母親」「泣く子どもを抱かずにベンチに座っていた父親」──こうした一部だけを切り取った“証拠写真”とともに、実名や顔写真まで晒される例もある。 それは支援ではない。ただの社会的制裁であり、家庭への侵略だ。 さらに問題なのは、行政や教育現場においても、「支援」の名のもとに家庭への介入がエスカレートしている現実だ。 「この家庭は養育力に課題がある」「子どもが落ち着きがないのでカウンセリングを提案」──こうした対応が、当事者への丁寧なヒアリングもなく一方的に進められることがある。 支援は本来、選択可能で、受けるかどうかを家庭側が決められるべきだ。だが現状は、支援の枠組みに入らない家庭が「問題あり」とラベリングされ、無意識のうちに“囲い込まれる”傾向すらある。 これは、非常に怖いことだ。 どこまでが自由で、どこからが強制なのか。どこまでが援助で、どこからが統制なのか。その境界がぼやけたまま進む支援社会は、やがて家庭という最小単位の自律性を奪ってしまう。 かつての日本社会は「子どもは地域で育てる」文化を持っていた。だがそれは、強制ではな...

独身時代のバックパッカー旅行記|9日目 ブラジルで考えたこと

 9日目、僕はついに南米旅のハイライトとも言えるブラジルへと足を踏み入れた。リオ・デ・ジャネイロは、雑誌や映画で見たあの景色のままでありながら、やはり現実に存在する生きた街だった。 リオの街角に立って感じたのは、“人が生きている”という熱量だった。人々の表情は明るく、音楽とともに生きているかのよう。道ばたで演奏するバンド、ダンスする子どもたち、恋人同士が熱く語り合う公園。そこには、何も飾らないリアルな生があった。 僕はホステルのスタッフに教えてもらったローカルフード店で「フェイジョアーダ」を注文した。黒豆の煮込みと肉の塩気が絶妙で、日本では味わえない深みがあった。その後、教会の前で開かれていたフリーマーケットをのぞくと、古びたレコードや手作りの工芸品が並び、人々が笑顔でやり取りしていた。言葉は通じなくても、人と人の温かさは伝わる。 日が暮れると、僕はシュガーローフ山に登った。展望台から見下ろすリオの街は、まるで光の海。遠くから聞こえるサンバのリズムに耳を澄ませながら、僕はひとり静かにその景色を焼きつけた。今振り返れば、あの時間は僕の人生にとってひとつの分岐点だったかもしれない。 なぜなら、今こうして子連れで旅をするようになった僕が、当時の旅で得た“自由”や“偶然の出会い”を心から信じているからだ。バックパッカー時代に味わった小さな発見や驚きが、今の家族旅行に息づいている。 旅とは、時に過去と現在をつなぐ線になる。そしてブラジルでの1日は、確かにその線の一部として、今も僕の中に生きている。

バックパッカーとしての集大成|ウユニ塩湖で得た「静」の記憶

 ウユニ塩湖に立ったあの日、私はひとりだった。バックパックひとつを抱え、旅の終盤に差し掛かった8日目。これまでの旅路の疲れと達成感を体にまといながら、夜明け前のツアージープに揺られていた。 空はまだ真っ暗で、車内も静まり返っている。旅仲間ではなく、見知らぬ誰かと共に乗っていることが、逆に心地よかった。誰の気配にも気を遣わず、自分の心だけに集中できる。 到着した塩湖は凍るような寒さ。それでもカメラを構える手が震えるのを忘れてしまうほど、風景は荘厳だった。少しずつ空が白んでくると、鏡のような水面に空が映り込み、天と地の区別が消えていく。 この景色のなかに立っている自分が、とても小さく感じた。大自然の前では人間なんて取るに足らない存在だと、ウユニは静かに語ってくる。だが、その無力さが、妙に安心感をもたらす。 私はその朝、何も言葉にしなかった。何も残そうとしなかった。ただ、その瞬間の風と光と、空気の重さを覚えておきたかった。それだけだった。 独身時代の旅は、無謀で自由だった。だが、無駄ではなかった。いま子どもと旅をしている私が、あの朝の景色を思い出すことで、育児にも少し余裕が持てる。それが旅の遺産なのかもしれない。 いつか家族を連れてまたここに来たい。その願いが叶うかどうかはわからない。でも、あの風景を知っていることだけで、世界の広さを子どもに伝えられる気がする。 川滿憲忠

“普通の子に育てたい”という呪い──画一化された理想が家庭を壊す

 「うちの子は普通に育ってほしい」──それは多くの親が自然と抱く願いだろう。「普通の子」でいてくれたら安心、「普通に学校へ行って」「普通に就職して」「普通に結婚して」くれたらと願う気持ちは、親心として否定しがたい。 だが、その“普通”は誰が決めたのか。そしてその“普通”を目指すことで、どれだけの子どもが苦しみ、どれだけの家庭が壊れてきたのか。今、私たちはこの問いに向き合わなければならない。 そもそも、“普通”とは非常にあいまいな言葉だ。ある家庭では「中学受験が当たり前」で、ある地域では「高校は地元で十分」という感覚がある。家庭によって、文化によって、経済状況によって、「普通」はまるで違う。 それにもかかわらず、どこかに「みんながそうしている」「世間的にはそれが当たり前」といった“幻想の基準”が立ちはだかる。そしてその基準に我が子を合わせようとする。多少のずれや個性が見られた瞬間、「うちの子はおかしいのでは」と不安になり、矯正しようとする。 これは非常に危うい。 発達のスピードには個人差がある。得意不得意も違う。性格や興味も当然異なる。それなのに、“普通の枠”からはみ出た部分を異常とみなす風潮は、子どもを深く傷つけるだけでなく、親自身も追い込んでいく。 「普通になってほしい」という願いは、「あなたは今のままではダメだ」というメッセージにもなりうる。善意のつもりで言った一言が、子どもの自己肯定感を奪い、「自分はおかしい」「親をがっかりさせている」という罪悪感につながってしまう。 もっと深刻なのは、“普通”を強制され続けた子どもが、自分で自分を嫌いになってしまうことだ。何かに興味を持っても「そんなのは普通じゃない」、何かに悩んでも「それぐらい普通は我慢するものだ」と言われる。そうして自分の内面を押し殺していった結果、自分自身を見失ってしまう。 家庭が本来果たすべき役割は、「子どもを枠にはめること」ではなく、「その子に合った生き方を支えること」ではないか。にもかかわらず、多くの親が“普通”を掲げることで、無意識に子どもを管理しようとしてしまう。 これは社会の構造的な問題でもある。メディアや教育現場、SNSに至るまで、「理想的な家庭像」「正しい育児法」「子どものあるべき姿」が溢れており、親は無意識のうちにそれを信じ込み、自分の育児を“評価”されているかのように感じてし...

ボリビア・アンデス高地を歩く|古代ティワナクと星降る夜に思うこと

 7日目、私はボリビアの標高4000mを超えるアンデスの大地を踏みしめていた。昨日のウユニ塩湖での神秘体験から一夜明け、次に目指したのは、インカより古いとされる文明の跡──ティワナク遺跡だった。 朝早く、ラパスを出発。車窓から見える大地は、どこまでも広がる赤茶色の荒野と、青すぎる空。標高が高いために酸素が薄く、時おり呼吸が浅くなる。それでも進みたくなるのが旅の不思議だ。 ティワナク遺跡に着いた時、まず目に入ったのは「太陽の門」。大きな石を削って作られた門には、いくつもの神々のような顔が刻まれていた。誰が何のために?という問いの前に、言葉を失った。そこには理屈じゃない、存在そのものへの畏敬があった。 遺跡を歩きながら、ふと足元を見ると、小さな花が一輪咲いていた。こんな厳しい環境でも命は生きている。人間も同じなのかもしれない。旅先でのこうした出会いが、日々の見方を少しずつ変えていく。 昼食は近くの村で。リャマ肉の煮込みと、ボリビア産のじゃがいも。シンプルなのに心に残る味だった。店の女主人が「また来てね」と微笑む。それだけで、その日が特別になる。 夜、ロッジのベランダから満天の星空を眺めた。この星たちは、私の人生の選択を静かに肯定してくれているようだった。独身時代にこの旅をして、本当に良かったと思う。そして今、子どもと一緒に旅することに迷いがないのは、きっとこの日の経験があるからだ。 川滿憲忠

“努力が足りない”という呪い──個人責任論の限界

 「努力が足りない」。この言葉ほど、人を静かに追い詰めるものはない。 現代の社会では、成功も失敗もすべて自己責任で語られる風潮が強くなっている。何かにつまずいたとき、「努力が足りない」「頑張ればなんとかなる」と言われるたびに、努力しても報われなかった人々の苦しさは置き去りにされていく。 もちろん、努力は必要だ。楽をして何かを成し遂げようなどとは思わない。だが、問題なのは「すべては自分の努力次第」という考え方が、社会的な格差や構造的な不平等を見えなくさせてしまうことにある。 たとえば、教育。親の所得や地域によって、受けられる教育の質には明確な差が存在する。塾に通える子どもと、アルバイトをしなければならない子どもでは、そもそもの「スタートライン」が違う。それでも「本人の努力が足りなかった」と言うのは、あまりに残酷ではないか。 あるいは、就職活動やキャリア形成。高学歴の家庭で育った人ほど情報にアクセスしやすく、選択肢も豊富だ。一方で、情報が乏しく、相談相手もいない環境で育った若者にとっては、自分の可能性を信じることすら難しい。ここでも、「努力」という言葉だけで語るのは、不誠実だろう。 SNSやネットメディアには「成功者」の言葉が溢れている。「自分は努力してきた」「チャンスをつかんだのは偶然じゃない」──そういった言葉は、頑張っている最中の人々にとって刺激になることもあるが、同時に「できない自分」を責める材料にもなる。努力を強調しすぎる言説は、知らず知らずのうちに“呪い”として機能してしまうのだ。 問題は、それだけではない。個人責任論が強まることで、制度の改善や支援の議論が置き去りにされる。貧困、家庭環境、障害、地域格差──これらの課題は、社会全体で向き合うべき構造的な問題であるはずだ。だが「本人がもっと頑張ればいい」「助けを求めないのが悪い」といった論調が、支援を受ける側を萎縮させる。 「努力不足」は、万能の免罪符になってはならない。誰かを支援すること、手を差し伸べること、制度を整えること。それらを忘れ、「努力」という言葉一つで片付けてしまうのは、社会としての責任放棄である。 子育ての現場でも、「もっと子どもと向き合うべき」「ちゃんと躾ける努力をしろ」といった声が飛び交う。しかし、家庭ごとに状況は違う。共働きで余裕がない家庭、ひとり親世帯、障害や持病を抱える子ども...

クスコで感じた静寂と原点──親になる前の旅と今

マチュピチュを訪れた翌日、私はクスコで「何もしない日」を過ごしました。かつて一人で歩いた道を、今度は子どもと一緒に歩きたい──そんな思いが芽生えた6日目の記録です。 朝、目覚めたクスコの空気は澄んでいて、昨日の余韻を静かに運んでくれた。石畳の街を歩く足音が、自分の中の記憶を一つずつ揺り起こしていくようだった。 今日は予定を入れず、思うままに街を歩く。サン・ペドロ市場で地元の人たちの暮らしをのぞき、カフェのテラスで地図を眺める。「観光地を巡る」のではなく「その地に暮らす感覚を得る」──旅の成熟とはそういうことなのかもしれない。 小さな子どもを連れた家族が広場で笑い合っていた。「今度はあんなふうに家族で旅をしたい」と自然に思った。 クスケーニャを片手にロモ・サルタードを食べながら、10年前の自分がこの街で見たものと、今見ている風景の違いをじっくり味わった。 独身時代に自由に旅をした経験が、いま“家族を連れて行ける自分”を作ってくれた。だからこそ、これからは「見せてあげたい旅」が始まる。 この日、何もしないことで、旅の本質を思い出した。明日はリマへ。心の中でそっと、子どもたちとの南米再訪を誓った。 川滿憲忠