「幸せそう」に見えるだけ?──キューバで考えた旅の本質と育児の感覚
キューバという国に足を踏み入れた瞬間、なぜだか時間が止まったような錯覚に包まれた。 クラシックカーが今も走り、サルサの音楽が街に流れ、どこか懐かしい景色が広がるハバナの旧市街。観光地としての華やかさと、生活感がせめぎ合うその空間は、私に強烈なインパクトを与えた。 あるカフェで、観光客向けに提供される高めのモヒートを飲んでいるとき、すぐそばで地元の子どもたちが裸足でボールを蹴っていた。その対比に、私はキューバという国の「真ん中」を見た気がした。 「物がないのに幸せそう」という言説。それは多くの人が無邪気に語るが、実際には生活インフラが乏しいことへの我慢や、選択肢のなさでもある。にもかかわらず、外から来た観光客は、それを“魅力的”と受け取ってしまう。 その浅さを、私は自戒も込めて感じていた。 だからこそ、自分の感覚を信じること。リアルを丁寧に見ること。その大切さをこの旅が教えてくれた。 子育てにおいても同じだ。SNSで語られる「理想の親像」や「正しい育児論」に振り回されるのではなく、目の前の子どもを見つめ、自分の感覚で向き合う。それが何よりも大事なのだ。 私は完璧な親ではない。でも、キューバで得た“生身の感覚”が、今の育児の指針になっている。 旅は、その時はただの出来事かもしれない。でも、後から人生の中でじわじわと効いてくる。キューバの旅は、確実に私の中に残っている。