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8月 31, 2025の投稿を表示しています

バックパッカーアフリカ編25日目:南アフリカのケープタウンで見た「大都市の光と影」

 タイトル   バックパッカーアフリカ編25日目:南アフリカのケープタウンで見た「大都市の光と影」   本文   バックパッカーとしてアフリカ大陸を旅した独身時代の25日目は、南アフリカのケープタウン。アフリカの旅の中でもひときわ印象に残る街だった。アフリカの大都市といえば、ナイロビやヨハネスブルグの名前を思い浮かべる人も多いだろうが、ケープタウンは観光都市としての華やかさと、現実としての厳しい格差社会が同居している都市だった。   宿泊していたホステルはテーブルマウンテンを見上げられるロケーションにあり、朝起きると雄大な山が目の前に広がった。世界有数の絶景とも言われるその姿は、まさに息を呑む迫力。観光客はケーブルカーに乗って山頂を目指すが、バックパッカー仲間の多くは登山ルートを選び、半日かけて歩く。僕も例外ではなく、バックパックを宿に預け、水と簡単な食料を持って登った。途中で地元の学生や海外からの旅行者に出会い、互いに励まし合いながら山頂を目指した。   山頂から見下ろすと、ケープタウンの街並みと大西洋が一望できる。港に停泊する船、ビーチに集まる観光客、遠くに広がる町の様子。写真では収まりきらないスケール感に圧倒された。そして夕方、山の影が街を覆い、オレンジ色の光が海に映る光景は一生忘れられない。   しかし、街の中心部から少し離れると現実は一変する。タウンシップと呼ばれる貧困地区が広がり、そこでは多くの人々がプレハブ小屋やトタン屋根の家で暮らしていた。観光客が軽い気持ちで足を踏み入れることは危険とされているが、現地の知り合いの案内で一部を訪れることができた。笑顔で迎えてくれる子どもたちの姿と、決して十分とは言えない生活環境。そのギャップに言葉を失った。   南アフリカはアパルトヘイト政策の影響を未だに強く受けており、人種ごとの居住区や貧富の差は根深い。旅行者の目に映る「美しい観光都市」と、そこで暮らす人々の「厳しい現実」が隣り合わせに存在していたのだ。バックパッカーとして自由に旅をしている自分が、何か大きな矛盾に触れた気がした。   ホステルに戻ると、他の旅行者たちと夜遅くまで語り合った。ヨーロッパから来た若者は「貧困はどの国にもあるが、ここは極端に分かりやすい」と言い、地元...

バックパッカーアフリカ編24日目──国境越えの不安と小さな奇跡

 タイトル: バックパッカーアフリカ編24日目──国境越えの不安と小さな奇跡 本文: バックパッカーとしてアフリカを旅した日々も24日目を迎えた。この日は、特に記憶に深く刻まれている。なぜなら、旅の中でも大きな壁の一つ「国境越え」を体験したからだ。独身時代の私にとって、国境は地図の上の線ではなく、現実の中で立ちはだかる緊張そのものだった。 この日は、前日に滞在していた国の町を早朝に出発し、長距離バスに乗り込んだ。バスは埃を巻き上げながらガタガタとした道を進む。車内には地元の人々が詰め込まれ、山積みの荷物や生きた鶏まで一緒に運ばれている。汗と埃の匂いに包まれながらも、私は「今日中に国境を越えられるのだろうか」という不安で胸がいっぱいだった。 国境に近づくにつれて、車内の空気は少しずつ張り詰めていった。パスポートを取り出して確認する人、賄賂を要求されることを恐れて財布を奥に隠す人、そして黙って窓の外を眺める人。誰もが自分なりの緊張を抱えていた。私も例外ではなく、心臓が早鐘を打つように高鳴っていた。 国境の検問所に着くと、バスを降りて手続きを受けなければならなかった。役人の視線は鋭く、こちらを値踏みするようだ。英語も通じない場面が多く、身振り手振りで意思を伝えようとする。その中で一人の役人が書類を指差し、よくわからない追加料金を要求してきた。旅人として噂に聞いていた「賄賂」の場面が目の前に現れたのだ。 戸惑いながらも、私は正規の書類を示し、粘り強く説明を繰り返した。幸い、後ろに並んでいた現地の青年が片言の英語で助け舟を出してくれた。彼の助けによって状況が理解され、追加料金を払わずにスタンプを押してもらえた瞬間、心の底から安堵した。あの青年の存在がなければ、きっと私は余計な出費をしていたに違いない。 国境を越え、新しい国の大地を踏んだ瞬間の感覚は、今も鮮明に覚えている。空気が違う、匂いが違う、通り過ぎる人々の服装や言葉が違う。そのすべてが私に「旅をしているのだ」という実感を与えてくれた。道端で子どもたちが笑いながら走り回っている姿を見たとき、不安よりも喜びが胸を満たしていった。 宿にたどり着いたのは夕暮れ時だった。古びたゲストハウスのベッドに腰を下ろし、今日の出来事を振り返った。国境越えの緊張、役人の圧力、そして現地の青年の優しさ。旅は予測不可能で、時に厳しい。しか...

バックパッカーアフリカ編|独身時代の23日目の旅路と心境

 バックパッカーとしてアフリカを旅した独身時代、23日目の朝を迎えたとき、自分の中で旅のリズムが完全に体に染みついていることに気づいた。最初の頃は、毎朝目を覚ますたびに「今日はどこへ向かうのか」「宿は見つかるのか」と不安でいっぱいだった。しかし3週間以上も旅を続けると、その不安はむしろ心地よい緊張感へと変わり、予測できない出会いや出来事をむしろ楽しみに待つようになっていた。 この日は、前日まで滞在していた小さな町から、やや大きな都市へと移動する計画を立てていた。町のバスターミナルに向かうと、埃っぽい空気とともに、現地の人々がひしめき合いながら行き先を叫ぶ声が響いていた。路線バスというよりも、定員オーバーでぎゅうぎゅう詰めのミニバスに近い。荷物は屋根の上に積み上げられ、人々はその下で談笑したり、食べ物を分け合ったりしている。旅人としての自分は、その雑多なエネルギーに圧倒されつつも、少しずつ溶け込めるようになっていた。 道中、隣に座った青年が気さくに話しかけてくれた。彼は英語を少し話せたので、拙い会話ながらもお互いの旅路や夢について語り合うことができた。彼は農村の出身で、都市での仕事を探す途中だったという。その表情からは、期待と不安が入り混じった複雑な感情が読み取れた。彼の語る現実は、旅人である自分には想像の及ばない苦労を伴っていたが、それでも前へ進もうとする姿勢に強い刺激を受けた。 昼過ぎ、目的地に到着すると、そこは市場を中心に活気づいた町だった。香辛料や果物の香りが立ち込め、カラフルな布をまとった女性たちが行き交う。自分は荷物を背負ったまま市場を歩き、食堂のような小さな店に入り、現地の料理を味わった。辛い煮込み料理に、素朴な主食が添えられた一皿。どこか家庭的な味わいに、心が満たされていくのを感じた。 午後は町を歩き回りながら、宿を探した。観光地ではないため、バックパッカー向けのゲストハウスは少なかったが、地元の人に教えてもらった簡素な宿に泊まることにした。部屋は電気も不安定で、シャワーは水しか出ない。それでも、屋根があり眠れる場所があるだけでありがたく思えた。旅を始めた頃の「最低限の快適さが欲しい」という気持ちは次第に薄れ、「生きていければ十分」という感覚に変わっていた。 夜、宿の前で焚き火を囲んでいる人々に混じり、星空を見上げながら語らった。電気が乏しい町...