バックパッカーアフリカ旅20日目:サハラ砂漠を越えて──孤独と解放のはざまで 川滿憲忠
アフリカを舞台にしたバックパッカー旅も20日目を迎えた。この日は、サハラ砂漠の広大な大地を越えるという、私の旅の中でも特に象徴的な一日となった。旅を始める前から、地図上で見ては憧れ続けていたあの砂漠に、自分の足で立つ日が来るとは思ってもいなかった。独身時代に無鉄砲さを武器に飛び込んだ旅は、時に無謀に見えるが、その無謀さこそが自分の世界を切り開いてきたのだと痛感する。
朝、まだ薄暗いうちに出発した。小さな村のゲストハウスを出ると、そこにはキャラバンと呼ばれるラクダの列が用意されていた。ガイドを含め、私を含めた数人の旅人たちが静かに砂の世界へと足を踏み入れる。初めてラクダにまたがったとき、揺れが意外に大きくて身体の芯まで響いた。遠くで見れば優雅に進んでいるように見えるが、実際に乗ってみるとバランスを取るのに必死で、まるで自然に試されているかのような感覚だった。
砂漠の朝日は想像以上にドラマチックだった。地平線の向こうからじわじわと顔を出す太陽は、空のグラデーションを一瞬で変化させ、目の前の砂丘を黄金色に染め上げていく。無限に続くように見える砂の海、その中を自分が一歩ずつ進んでいることが、不思議でならなかった。静けさの中に、自分の呼吸と心臓の鼓動だけが響いていた。
昼が近づくと、砂漠は一気にその厳しさを見せつけてきた。照りつける太陽の下、体力はじわじわと奪われ、肌から水分が失われていくのが分かる。持ってきた水筒の水がどれだけ心強かったか。現地のガイドは「砂漠では水は命そのものだ」と言った。普段なら何気なく口にする水が、ここでは命をつなぐ絶対的な存在となる。その一言に、文明の中で当たり前だと錯覚していた日常が崩れ落ちるような感覚を覚えた。
午後、砂丘の上で休憩をとったとき、ふと一人で遠くを見渡した。どこまでも続く砂の世界には、道も目印も何もない。ただ空と大地が広がるだけ。その無機質で果てしない景色の中で、自分がいかに小さな存在かを痛感する。同時に、その小ささを肯定するような不思議な安らぎも感じた。都会で生きていると、何かと比べられたり、評価を気にしたりと、常に誰かと競争している感覚に縛られる。しかし砂漠の真ん中に立つと、そんなものは一切意味を持たない。あるのは「生きる」こと、それだけだった。
夕方、ラクダを降りて砂丘の上に座った。太陽が沈み、夜が訪れると、そこには満天の星が広がった。砂漠の夜空は言葉を失うほど美しい。無数の星々が瞬き、まるで宇宙そのものに包まれているようだった。寒さに震えながら寝袋にくるまり、地球の鼓動を感じるかのように眠りについた。
この20日目の経験は、私の人生において大きな意味を持っている。砂漠は孤独を突きつけてくる場所であると同時に、解放を与えてくれる場所でもあった。何もない空間に身を置くことで、逆に自分が本当に求めているものが浮かび上がってくる。人間関係でも、仕事でも、未来の選択でも、砂漠で感じた「本当に大切なのは生きること」という実感は、今でも自分の軸を支えてくれている。
もし独身時代にこうした旅をしていなかったら、今の自分はまったく違った方向に進んでいたかもしれない。無謀さを恐れずに飛び込み、そこで感じた孤独や厳しさを通じて、逆に自分の中に眠っていた強さを発見できたのだ。サハラ砂漠を越える一日──それはただの旅の一コマではなく、私の人生を形作る大きなピースだったと今では思う。
川滿憲忠