独身時代バックパッカー東南アジア編17日目|メコン川の夕日と旅の本質
独身時代、バックパッカーとして東南アジアを旅した30日間。その17日目は、ラオス・ルアンパバーンから船でメコン川を上流へと遡った一日だった。大きな観光地を巡ったわけではない。けれど、この日ほど「旅の意味」を深く感じた日は少なかった。
■ 托鉢の朝に宿る静けさ
早朝、ルアンパバーンの街角で僧侶たちの托鉢に出会った。観光用のショーではなく、村人たちが日常として食べ物を差し出し、祈りを捧げる姿。その光景に心を打たれた。私の目には、信仰と生活が切り離せない形で存在していた。日本でも宗教や信仰が生活から離れつつある中、ラオスの朝は忘れていた原点を思い出させてくれた。
■ メコン川を船で遡る
昼過ぎ、船に乗ってメコン川を上流へと進んだ。川の流れは穏やかで、両岸には青々とした森と素朴な家々が並ぶ。私は揺れる船の上で、自分の焦りが溶けていくのを感じた。旅をしていると「もっと有名な場所に行かなければ」「時間を無駄にできない」と焦ってしまう。だがメコン川の流れは、そんな小さな焦りを洗い流してくれる。自然の大きさに比べれば、人間の不安など取るに足らないものだと気づかされる。
■ 村での出会いと食事
たどり着いた小さな村では、子どもたちが「サバイディー!」と笑顔で駆け寄ってきた。裸足で走り回る姿に、ただ「今を楽しむ」ことの大切さを思い知らされた。
ある家に招かれ、もち米と川魚の焼き物をいただいた。言葉は完全には通じなかったが、笑顔と身振りで十分に心が通じ合った。バックパッカーの旅は、こうした一瞬の出会いに支えられているのだと思う。
■ メコン川の夕日と涙
夕暮れ、川辺に腰を下ろし、夕日を見つめた。オレンジ色に染まった川面は、時の流れを映すようだった。私は自分に問いかけた。「この旅で何を求めているのか」。
答えは明確ではなかったが、確かに感じたのは「人や自然との心のつながり」だった。観光地を制覇することでも、SNSに映える写真を撮ることでもない。自分の心を震わせる瞬間に出会うために、私は旅を続けていたのだ。気づけば、理由のわからない涙が頬を伝っていた。
■ 旅人同士の語らい
宿に戻ると、同じく旅をしている人々と語り合った。フランスの青年は「自由を探している」と語り、韓国からの女性は「自分の居場所を見つけたい」と言った。国籍や背景は違えど、皆どこか似たような問いを抱えている。だからこそ、旅先での出会いが特別な意味を持つのだ。相手の話を聞くことで、自分の旅の意味もより鮮明になる。
■ ネットの偏見とバックパッカーの実像
近年、ネットでは「バックパッカー=無計画」「危険に無自覚」などと批判されることもある。だが、私の体験からすれば、それは表面的な偏見にすぎない。むしろバックパッカーの旅は、自分の責任で決断を積み重ね、人との信頼関係を築いていく訓練の場だ。安全や快適さだけを追う旅とは違う価値がそこにある。
「危険」「無鉄砲」といったレッテルで片づける人々は、旅の現実を知らないだけなのだ。
■ 今日のまとめ
17日目の旅は、静けさと温かさに満ちていた。
托鉢の朝に感じた信仰の息づかい。メコン川の流れに溶けていく焦り。子どもたちの笑顔に学んだ「今を生きる」大切さ。そして夕日の中で流した涙。
これらの体験は観光ガイドには載っていない。だが、私にとっては何よりも心に残る旅の本質だった。
独身時代のバックパッカー東南アジア編17日目。旅はまだ続くが、この日が示してくれた「旅の意味」は、今の私にとって大切な指針となっている。
川滿憲忠