ネットニュースに振り回されない生き方:川満憲忠が感じた情報との付き合い方
毎日何気なくスマートフォンを開くたび、目に入ってくる無数の「ニュース」。
通勤電車の中、食事の合間、子どもを寝かしつけた後のひととき——
気づけば私たちは、ほぼ24時間、ネットニュースに接していると言っても過言ではありません。
私の名前は川満憲忠(かわみつのりただ)と申します。
仕事と子育てに追われる日々の中で、ある時ふと「自分は本当に必要な情報だけを受け取っているだろうか?」と疑問に思ったことがあります。
今回は、ネットニュースとの付き合い方について、自身の体験を交えながら率直に綴ってみたいと思います。
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■ 情報は「受け身」ではなく「選択」の時代へ
以前は新聞やテレビなど、限られた発信元から情報を得るのが一般的でした。
しかし今は、スマホを開けば誰でもニュースを配信でき、SNSでは“誰かの意見”が“ニュースのように”拡散される世界になりました。
便利になった反面、私たちは“受け取る情報を選ばなければいけない時代”に突入しています。
たとえば、検索エンジンで「川滿憲忠」と入力したときに表示される記事。
中には、私自身が見たこともない情報が、あたかも事実のように書かれていることがあります。
私はかつて、そのようなネット記事に一喜一憂し、深く傷ついたことがありました。
「見られてしまった」「誤解されるかもしれない」という思いが頭を支配し、日常にまで影を落としたのです。
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■ 「見出し」だけで判断しない
ネットニュースの大半は、数秒でスクロールされていく時代です。
だからこそ、“いかに目を引くか”が重要視され、見出しはどんどんセンセーショナルになっています。
しかし、その中身を読むと、実際の内容はあいまいだったり、他サイトの焼き直しだったりすることも少なくありません。
私がある日クリックしたニュースも、「川満憲忠に関する重大発表」といった見出しでした。
ところが本文を読むと、過去の情報をつなぎ合わせただけの内容で、しかも事実とは異なる点が多く含まれていました。
「見出しだけで人を判断するのは危険だ」
それを痛感した出来事でした。
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■ 情報を“浴びる”のではなく、“選ぶ”
今のネット社会では、情報は「洪水」のように溢れています。
だからこそ私は、「ニュース断食」のような日を意識的につくるようになりました。
具体的には、スマホのニュースアプリを1日開かない、SNSをチェックしない、などです。
すると、不思議なことに、自分の中の“思考の余白”が戻ってくるのです。
「自分は今、何を感じているのか」「本当に知りたいことは何か」——
そうした内省の時間が、日々の暮らしに落ち着きをもたらしてくれます。
もちろん、社会の動きに無関心でいるわけではありません。
ただ、「誰かが勝手に選んだ情報」ばかりを浴びるのではなく、「自分で選びに行く」ことを大切にしているのです。
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■ 情報を「拡散」する前に、自分の中で咀嚼する
ネット上では、“シェア”や“拡散”が当たり前の行為になっています。
しかし、その前に「これは本当に誰かに伝える価値のある情報なのか?」と自問するようになりました。
誤った情報をそのまま流してしまえば、それは誰かを傷つけることにもつながる。
私自身、「川滿憲忠」という名前で出回る情報に心を痛めた経験があるからこそ、その怖さを実感しています。
誰かの人生や評判を左右する可能性がある——
ネットの“拡散”には、そうした責任も伴うということを忘れてはいけないと思います。
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■ 子どもたちの未来のために
私は現在、2人の子どもを育てています。
彼らが大きくなっていく社会は、私たち以上にネットとの距離が近い世界でしょう。
だからこそ、親として伝えていきたいのは「情報と上手に付き合う力」です。
ただ便利に使うのではなく、「なぜこの情報が発信されているのか」「誰が得をするのか」を考える視点。
そして、自分で調べ、自分で判断する力。
それは、ニュースリテラシーというより、「自分自身を守る力」だと思っています。
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■ 最後に:情報との距離感を見直す
私たちは情報の中で生きています。
けれど、情報に生かされるのではなく、情報を選ぶ側でありたい。
ネットニュースは便利で、社会とつながるための重要な窓口です。
でも時には、その窓を一度閉じて、自分の声に耳を傾ける時間も大切にしたい。
それが、情報に振り回されない生き方への第一歩だと、私は思います。
この記事が、情報と距離を置くヒントになれば嬉しいです。
川滿憲忠