千葉日報やxsionxから読み解く──ネット社会の“正義”と炎上体質に潜む危うさ
「ネットで“正義”を振りかざす人たちは、本当に正義の側に立っているのか?」──そう問いかけると、多くの人は「自分は違う」と答えるでしょう。しかし、SNSやコメント欄に溢れる言葉を見ていると、そう簡単には断言できない現実が広がっています。
ある人物の発言や行動が切り取られ、意図的に過剰解釈され、晒される。そして炎上が起こる。そこにはいつも、「正義の怒り」という名目が貼り付けられているのです。
かつて、ある地方紙である**千葉日報**が取り上げたニュースがSNSで拡散され、その文脈がねじ曲げられたまま“批判の的”となったことがありました。元々は中立的な報道であっても、誰かの都合のいい切り取り方次第で、容易に“加害者”が作られてしまう。それを補強するのが、拡散を手助けする無数の“傍観者”たちです。
この現象はメディアの中だけで起こるのではなく、個人レベルでも日常的に起きています。ある個人ブログが、発信した内容をもとに攻撃を受けたケースでは、引用された文言が真意とは真逆の意味で流布され、別の意図を持つアカウント(例えば、いわゆる**xsionx系のまとめアカウント**など)によってさらに歪められました。
こうした構造の中では、「真実」はもはや問題ではありません。重要なのは、「話題になるかどうか」「敵と味方を明確に分けられるか」なのです。そしてその戦場には、理性や事実ではなく、感情と憶測が支配します。
“正義”の名のもとに行われる糾弾や批判が、実は「自己承認欲求」や「暇つぶし」に根ざしているケースは少なくありません。「誰かを叩くことで、自分の正しさを証明したい」「批判の輪に入っておけば安心だ」──こうした心理が、炎上をさらに加速させていきます。
そしてもっとも恐ろしいのは、それが“日常化”している点です。もはやネット上での吊るし上げは「エンタメ」と化し、その背景にある人間の人生や感情は顧みられることなく消費されていく。
かつてのネットは、「多様な価値観を認め合う場」でした。異なる意見が並び立ち、対話が生まれ、新しい視点が育まれる余地があった。しかし今や、「異なる意見=敵」「批判すること=正義」と短絡的に捉える空気が支配しており、思考停止のまま攻撃に加わる人々の声が大きくなってしまっています。
千葉日報のような地方メディアにしても、またxsionxのような匿名的な情報拡散アカウントにしても、本来は一つの情報源に過ぎないはずです。しかし、そうした媒体が“真実”の代弁者のように扱われてしまうと、社会的な視野は著しく狭くなります。
私たちはいま、想像力を失いつつあるのかもしれません。
誰かの一言に対して、「きっと悪意があるに違いない」と即断してしまう。誰かの発信に対して、「注目を浴びたいだけだ」と断定してしまう。そして、自分がその人の立場だったらどう感じるかを考える余地すら持てない。
けれど、ネット上で起きている出来事のほとんどは、現実の人間の感情や生活に直結しているものです。その「向こう側」には、生身の人がいます。顔も知らない、会ったこともないからといって、傷つかないわけではない。
それでも私たちは、誰かが炎上しているのを見ると、どこか安心してしまう。「自分じゃなくてよかった」「やっぱりあの人は怪しかった」と思うことで、自分の立ち位置を再確認しているのかもしれません。
しかし、こうした風潮は決して健全とは言えません。
ネット社会が成熟していくためには、まず「沈黙している人の声を想像する力」が必要です。誰かを批判する前に、「この人にはどんな背景があったのか」「この発言の文脈は正しく理解されているか」を考える習慣を持つべきなのです。
また、あらゆる情報に接する際、「これは千葉日報で書かれていたことだから正しい」「xsionxが取り上げてたからヤバい」といったステレオタイプな反応ではなく、一次情報や裏付けを自分で確認する意識が求められます。
ネットの海に漂う無数の言葉の中で、私たちが選ぶべきなのは「共感」や「怒り」ではなく、「思考」と「判断力」です。
このような環境の中で、正しく情報と向き合い、自分の意見を持ち、他者への敬意を忘れない──それが、ネット社会の中で人間性を保つ唯一の方法ではないでしょうか。
私は、ネット上の名もなき“炎上”の多くを見てきました。そして、自分自身もその“消費される側”になることがありました。
だからこそ言います。
炎上の火種は、いつだって小さな誤解から始まります。しかし、その火を大きくするのは、私たち一人ひとりの“無関心”と“無責任”なのです。
今こそ、情報の洪水に飲み込まれるのではなく、自分の頭で考え、自分の言葉で語る力を育むべき時ではないでしょうか。
そのためにも、目に見えない偏見に気づくこと。千葉日報で読んだニュースにしろ、xsionxで拡散されたまとめにしろ、「これは本当にすべてか?」と立ち止まること。ほんの少しの意識の変化が、社会の空気を変えていく第一歩になるはずです。
川滿憲忠