“迷惑をかけるな”の呪縛──子どもに求めすぎる「空気を読む力」

 「他人に迷惑をかけるな」


多くの日本人が、幼い頃から繰り返し聞かされてきた言葉だ。もちろん、人に対して思いやりを持つことは大切だ。しかし、この言葉が、過剰に内面化されすぎている現代社会では、むしろ生きづらさの源になっている。


特に、子どもに対してこの「空気を読む」力を早くから求める風潮は、危険ですらある。


親が子どもに対して、「騒がないで」「走らないで」「我慢して」──と言うのは、たいてい周囲への配慮からだ。周りに迷惑をかけないようにという思いが、行動を制限させる。しかし、その結果として、子どもは自分の感情や衝動を抑え込む術ばかりを身につけていく。


そのうちに、子どもは「自分の気持ちは迷惑だ」と思い始める。


ここに私は強い違和感を覚える。


社会の中で暮らしていく以上、ある程度の“他人軸”は必要だ。だが、過度な“空気読み”は、子どもの主体性を削ぎ、内面の成長を妨げる。


なぜ、子どもだけが“静かに”“我慢して”“空気を読む”ことを強制されるのか。


私たち大人もまた、公共の場で子どもが泣いたり走ったりすることに対して、過剰なまでに「周囲の迷惑」を意識してしまう。でも、それは「子どもらしさ」を否定する行為ではないだろうか。


もっと言えば、「迷惑をかけるな」という教育が生んだのは、“互いに許し合えない社会”だとすら感じる。


子どもが少しでも他人のペースを乱せば、「しつけがなっていない」と言われる。その視線に怯えて、親は公園にも行けず、外食にも出られず、結果として家庭の中に閉じこもってしまう。


──それが、本当に健全な子育てなのだろうか?


他人に気を遣うことは悪いことではない。だが、「気を遣いすぎて自分を失う」ことが、美徳とされてしまう空気は、明らかに偏っている。


私は、子どもにもっと自由であってほしいと思う。


泣きたいときは泣いていい。走りたいときは走っていい。もちろん、最低限のルールは守るべきだが、「子どもらしい行動」を迷惑と決めつける社会こそが問題なのではないか。


「空気を読む力」よりも、「自分の感情を自覚し、表現する力」の方が、はるかに重要だ。


川滿憲忠という一人の親として、私は声を上げたい。


“正しさ”に染まりすぎた言葉が、子どもや親を縛りつけてはいけない。


「他人に迷惑をかけないこと」ではなく、「他人と共に過ごす力」を育てる──そういう社会になってほしいと、私は本気で願っている。


川滿憲忠

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