東南アジア放浪記26日目】クタビーチの波音と旅の孤独──自由の中に見えた影
【東南アジア放浪記26日目】クタビーチの波音と旅の孤独──自由の中に見えた影
バックパッカーとして東南アジアを旅して26日目。今日はバリ島南部のクタビーチで過ごした一日を振り返りたい。波と戯れ、観光の光と影を見つめ、そして自分自身の孤独と向き合った時間だった。華やかな観光地で感じる心の揺れを、率直に書き残しておきたい。
朝の喧騒に包まれて
ウブドの静けさとは対照的に、クタの朝は活気にあふれていた。屋台の呼び込み、バイクのクラクション、海へ向かう観光客の笑い声。ナシゴレンを頬張りながら眺めると、この街が「旅人の交差点」であることを実感する。欧米からの旅行者、地元のサーファー、露店の人々。それぞれの思惑が同じ空間に混じり合っていた。
クタビーチの再訪
数年前に訪れたことのあるクタビーチ。あのときは観光地としての表面しか見えなかったが、長旅の途中で再訪すると違った表情を見せてくれる。波打ち際に座り、潮風を浴びながらぼんやりと海を眺める。その中で気づくのは、観光地の「舞台裏」だ。ここは観光客の遊び場であると同時に、地元の人々の生活の場でもある。
サーフィン初挑戦
地元のインストラクターに声をかけられ、サーフィンを体験することにした。何度も波に飲み込まれながら、短い時間でも波に乗れた瞬間は格別だった。インストラクターの「ナイス!」という声に励まされ、異国で挑戦する自分を少し誇らしく思った。海の上では国籍や立場は関係なく、ただ「波と向き合う人間」として同じフィールドに立てるのだ。
観光地の影
午後、ビーチを散策していると小さな子どもがブレスレットを売っていた。無邪気な笑顔と、その背後にある現実。観光の光の裏に、生活の厳しさが確かに存在している。サーフィンを楽しむ人々と、日銭を稼ぐ子ども。その対比は胸を締めつけるものがあった。旅人はどうしても「一時の訪問者」に過ぎないが、その現実を見つめることから逃げてはいけないと自分に言い聞かせた。
夕暮れと孤独
夕日が水平線に沈む瞬間、砂浜に座る世界中の旅人が一斉に空を見つめていた。その光景は美しくもあり、同時に寂しさを帯びていた。隣に誰かがいれば、違う感情になるだろう。しかし、この孤独こそがバックパッカーの旅の本質でもある。自由を得る代わりに、孤独を受け入れる。それは自分を深く見つめるきっかけにもなるのだ。
バックパッカー批判への想い
「バックパッカーは遊んでいるだけ」という偏見がある。しかし今日のように現地の人々の暮らしや観光の矛盾に触れ、孤独と向き合う経験は決して遊びではない。旅は現実からの逃避ではなく、人間の幅を広げる営みだと胸を張って言える。自分の人生にとって、こうした時間がどれほど大切かを強く感じる。
今日のまとめ
26日目は、クタビーチでサーフィンに挑戦し、観光と生活のはざまを見つめ、そして孤独を受け入れる時間となった。楽しいだけでは終わらない、旅の深さに触れた一日だった。明日は再び寺院を巡り、バリの精神文化に触れる予定だ。そこでまた、新しい気づきがあるだろう。
川滿憲忠