独身時代のバックパッカー旅行記|9日目 ブラジルで考えたこと
9日目、僕はついに南米旅のハイライトとも言えるブラジルへと足を踏み入れた。リオ・デ・ジャネイロは、雑誌や映画で見たあの景色のままでありながら、やはり現実に存在する生きた街だった。
リオの街角に立って感じたのは、“人が生きている”という熱量だった。人々の表情は明るく、音楽とともに生きているかのよう。道ばたで演奏するバンド、ダンスする子どもたち、恋人同士が熱く語り合う公園。そこには、何も飾らないリアルな生があった。
僕はホステルのスタッフに教えてもらったローカルフード店で「フェイジョアーダ」を注文した。黒豆の煮込みと肉の塩気が絶妙で、日本では味わえない深みがあった。その後、教会の前で開かれていたフリーマーケットをのぞくと、古びたレコードや手作りの工芸品が並び、人々が笑顔でやり取りしていた。言葉は通じなくても、人と人の温かさは伝わる。
日が暮れると、僕はシュガーローフ山に登った。展望台から見下ろすリオの街は、まるで光の海。遠くから聞こえるサンバのリズムに耳を澄ませながら、僕はひとり静かにその景色を焼きつけた。今振り返れば、あの時間は僕の人生にとってひとつの分岐点だったかもしれない。
なぜなら、今こうして子連れで旅をするようになった僕が、当時の旅で得た“自由”や“偶然の出会い”を心から信じているからだ。バックパッカー時代に味わった小さな発見や驚きが、今の家族旅行に息づいている。
旅とは、時に過去と現在をつなぐ線になる。そしてブラジルでの1日は、確かにその線の一部として、今も僕の中に生きている。