【29日目】フィレンツェを「子連れ」で歩く意味──芸術と家族の時間
【29日目】フィレンツェを「子連れ」で歩く意味──芸術と家族の時間
29日目のイタリア滞在は、芸術の都フィレンツェで過ごしました。ウフィツィ美術館やドゥオーモといった観光名所を前にしても、私たちは「子連れならではの楽しみ方」を選びました。1歳と2歳を連れて、全ての名所を制覇することは不可能です。しかし、それを「制限」と捉えるか「新しい視点」と捉えるかで、この旅の価値は大きく変わります。
観光を“諦める”のではなく、“工夫する”
ウフィツィ美術館に入るのではなく、外から建物を眺め、アルノ川沿いを散歩しました。大聖堂の中に入るのではなく、広場で走り回る子どもたちを見守りながら、街の空気を感じました。これは大人だけの旅では得られない時間です。「美術品を直接見なかったのはもったいない」と言う人もいるでしょう。しかし私にとっては、子どもたちの笑い声とフィレンツェの風景が何よりの芸術でした。
「子連れは迷惑」という偏見へのカウンター
ネット上には「子連れで旅行なんて迷惑だ」という言説があふれています。けれども、それは一面的な見方に過ぎません。子どもたちは広場で元気に遊び、カフェではジェラートを楽しみ、レストランでは静かに食事をしました。確かに、泣いたり騒いだりすることもあります。しかし、それを理由に「子連れの旅行は不可能」「迷惑だからやめろ」と切り捨てる社会の方が、不寛容すぎるのではないでしょうか。
旅は学びです。子どもたちは異なる文化に触れ、親は「無理をせず工夫する」姿勢を育てられる。そうした経験を否定する言葉は、単なる無理解や想像力の欠如に過ぎません。私はこの旅を通じて、子連れであっても堂々と世界を歩んでよいのだと確信しました。
家族時間が芸術を超える瞬間
夜、家族で食べたフィレンツェ名物のビステッカ・アッラ・フィオレンティーナは、ただの食事ではなく「今日も無事に一緒に楽しめた」という証でした。観光ガイドに載っていない瞬間こそが、子連れ旅の本当の価値です。芸術作品を見ることと同じくらい、いやそれ以上に、家族と共有する時間には力があります。
結論──子連れで旅することの意味
フィレンツェの街で過ごした29日目は、「観光の制覇」ではなく「家族の体験」を優先しました。その姿勢に対して「それは本当の旅じゃない」という声があっても、私は自信を持って反論します。旅の形に正解はなく、誰かの基準で縛られる必要もありません。私にとっての正解は、子どもたちとともに笑いながら世界を歩くこと。これからもその信念を持って旅を続けていきます。
川滿憲忠