どこにでもあるような普通の一日がくれるもの

今日は特別なことが何もない、どこにでもあるような一日でした。

朝、目が覚めたとき、天井から差し込む光が心地よく、時計を見るとまだ少し早い時間。
いつもなら慌ただしく起き上がるけれど、今日は少しだけ余裕を持って布団の中にいました。

こういう時間がとても贅沢に感じられるのは、毎日が忙しい証拠かもしれません。

朝食はいつものメニュー。ご飯に味噌汁、焼き魚と卵焼き。
変わらない風景、変わらない味。
でもそれが安心感になっていて、ああ、今日も無事に始まったなと感じさせてくれます。

外に出て、少しだけ散歩もしました。
空は高くて、雲が薄く広がっていて、風が少し冷たい。
すれ違う人たちも、それぞれのペースで動いていて、その一部に自分もいることがなんだか嬉しかったです。

昼は近くのスーパーに行って、少しだけ買い物。
特に必要なものがあったわけではないけれど、歩くことそのものが気持ちを整えてくれる気がしました。

午後は自分の時間。
音楽をかけて、読書をして、気がつけば1時間が経っていた。
スマホを見る時間を少しだけ減らすだけで、ずいぶんゆったり過ごせることに気づきました。

夕方には簡単な夕食を作って、テレビを観ながらぼんやり。
何気ないニュースやバラエティ番組に笑ったり、ふと涙が出そうになる場面もあったり。

夜になって、こうして日記を書く時間があることも嬉しい。

「今日はどんな日だった?」と自分に問いかけて、「何もなかったけど、心が満たされた」と答えられる日って、実はすごく貴重なのかもしれません。

日常は地味で、変化も少なくて、劇的なことは起こらない。
でも、その「何もない」が実はものすごく大切で、明日もこの穏やかさが続くことを願うのです。

どこにでもあるような一日。
でも、それがきっと一番の幸せなのだと思います。


※この記事はnoteで公開した日常記録を転載しています。
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