【ヨーロッパ一周6日目】アムステルダムで感じた“自由”の光と影|バックパッカー旅の真実
【ヨーロッパ一周6日目】アムステルダムで感じた“自由”の光と影
アムステルダムに着いた朝、宿の窓から見える運河が朝日を受けて輝いていた。石畳の街並みの中に、ゆっくりと自転車が行き交う光景。その穏やかさとは裏腹に、心の奥には少しの緊張があった。ヨーロッパを旅して6日目、異国の「自由」がどんな顔をしているのかを確かめたかった。
この街は「自由の象徴」と言われる。マリファナの販売が合法で、売春も認められ、宗教的束縛も少ない。それは日本の常識とはあまりに違っていて、初めて歩いたレッドライト地区では、ただの観光地ではない“現実”の温度を肌で感じた。笑顔の裏にある孤独、明るい光の中にある影。どこか心がざわついた。
昼前、運河沿いのカフェでコーヒーを飲みながら、隣に座った地元の若者と話をした。彼の名前はリック。彼は「自由とは、他人をコントロールしないこと」と言った。その言葉にハッとした。日本では「自由」は“好きに生きること”と訳されがちだけど、ここでは“他者への不干渉”として存在していた。
午後はアンネ・フランクの家を訪れた。階段を上がるごとに空気が重くなる。狭い屋根裏で綴られた日記。そこに描かれていたのは、自由を奪われた少女の祈りのような言葉だった。アムステルダムという“自由な街”に、その傷跡が静かに残っていることに、言葉を失った。
夜、街の灯りが運河に映り込み、幻想的な風景が広がる。リックに教えてもらったバーでビールを飲んでいると、ふと彼の言葉が頭をよぎった。「自由は、孤独と隣り合わせなんだ」。確かに、誰も干渉しない世界では、自分の存在を確かめるのが難しくなる。自由とは、責任と孤独を引き受けること。その意味を、この街が教えてくれた。
アムステルダムを出る前、朝の運河沿いを再び歩いた。白いボートの上で本を読む老夫婦、犬を連れて散歩する青年、カメラを構える観光客。それぞれがそれぞれの“時間”を生きていた。ここには他人の視線も、押しつけもない。ただ静かに流れる日常があった。
この街の「自由」は派手なものではなかった。それはむしろ、自分自身と静かに向き合うための空間のようなもの。誰かに評価されるためでも、逃げるためでもなく、「自分を生きる」ための余白。それこそが、アムステルダムの本当の魅力だったのかもしれない。
宿に戻ってバックパックを背負うと、旅の重みが少し軽く感じた。見知らぬ土地で過ごすたった一日が、心のどこかを変えていく。その小さな変化こそが、旅を続ける理由なのだと気づいた。
次の目的地はベルギー・ブリュッセル。自由の街から、歴史の街へ。バックパッカーとしての旅はまだ続く。だけどこの日の記憶は、旅が終わったあともずっと、心の奥に灯り続けるだろう。
― 川滿憲忠