【ヨーロッパ一周7日目】ブリュッセルで見つけた“中間の美学”──極端ではない生き方の価値
旅を続けて7日目。アムステルダムを発ち、列車に揺られてベルギー・ブリュッセルへと向かった。 オランダの広い平原から丘陵のある景色へと変わり、風車が遠ざかる。車窓越しに、まるで別世界へと移動しているような気分だった。 ヨーロッパの中心と言われるブリュッセル。政治と文化が混ざり合う街は、旅人の感性を少しずつ磨いてくれる場所だった。 駅を降りた瞬間から感じたのは、言語の多様さだった。フランス語、オランダ語、英語、ドイツ語、そして時にスペイン語。 誰もが少しずつ違う言葉を話しているのに、不思議と不協和音にはならない。 「多様性」とは決して“声の大きい人”が支配することではない。互いの違いを認め、混ざり合うことができる、その静かな秩序の中にある。 ブリュッセルの空気は、それを体現しているように感じた。 街の中心、グラン=プラスへ向かう石畳の道。 広場に足を踏み入れた瞬間、金色の装飾に包まれた建物群が視界を埋め尽くした。 観光客がカメラを向け、カフェのテラスでは老夫婦がワインを楽しんでいる。 この光景を見て「派手だ」と思う人もいるだろう。けれど、どこか落ち着いている。 きらびやかさの裏に“控えめな気品”がある。それがブリュッセルの魅力だった。 昼は地元の食堂でムール貝の白ワイン蒸しを注文した。観光地の店ではなく、働く人たちが通うような場所を選ぶ。 隣の席の男性が「日本人か?」と笑いながらワインをすすめてくれた。 ベルギーの人々は決して押しつけがましくない。必要なときだけ手を差し伸べ、過剰に踏み込まない。 人との距離感が絶妙で、それがこの街の“中間の美学”なのだと思った。 午後はマグリット美術館へ。 「これはパイプではない」──有名な作品の前で立ち止まり、長く見入った。 目に見えるものが“真実”とは限らない。旅をしていると、そのことを何度も思い知らされる。 写真やSNSで見た景色はどれも完璧に見えるが、実際にそこに立つと、人の息づかいや生活の音がある。 美しさとは、完璧さではなく“矛盾を含んだ現実”の中に宿るものだ。 モン・デ・ザールの丘の上から街を...