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ヨーロッパ一周バックパッカー旅・9日目|瓦礫の街・ドレスデンで見つけた「再生」の意味

  ヨーロッパ一周バックパッカー旅・9日目|瓦礫の街・ドレスデンで見つけた「再生」の意味 ベルリンを出発して2時間ほど。列車の窓から見える風景が、少しずつ穏やかで緑の多いものへと変わっていく。 9日目の目的地はドレスデン。第二次世界大戦で壊滅的な空爆を受けた街でありながら、いまはヨーロッパでも屈指の美しい街として知られている場所だ。 到着した瞬間、私はその静けさに息をのんだ。 壊された街が教えてくれること 駅から旧市街へ向かうと、すぐに目に飛び込んできたのはフラウエン教会の姿。 その丸いドームの外壁には、黒ずんだ石と新しい石がまだらに混ざっていた。 「焼け跡の石も、再建に使うんだよ。」 隣で写真を撮っていた年配の女性が、そう教えてくれた。 戦争で崩れた教会は、瓦礫のまま何十年も残されていたという。 それが市民の寄付と祈りによって、ようやく再建されたのだ。 古い石は“過去の痛み”を、新しい石は“これからの希望”を象徴しているように見えた。 私はその教会の前で、長い時間立ち尽くしてしまった。 街の再生とは、ただ建物を元に戻すことではない。 壊れた記憶を、忘れずに抱えたまま進むことなのだと。 エルベ川沿いに漂う静寂 午後、エルベ川のほとりを歩く。 青空の下で、川面が穏やかに光を反射している。 その光が、まるで街の記憶を包み込むように優しかった。 途中、ベンチに座っていた老人が話しかけてくれた。 「この街は、痛みを消さないことで強くなったんだ。」 その言葉が心に残った。 壊れたことを隠すのではなく、傷跡を見せながら前に進む。 それがドレスデンの再生の形なのだと思った。 人間関係でも、社会でも、きっと同じだ。 傷を無理に“なかったこと”にしようとするより、受け入れていく方が強くなれる。 音楽が流れる夕暮れ 夕方、広場に戻ると、ストリートミュージシャンがヴァイオリンを奏でていた。 その音が、空に溶けるように広がっていく。 通りを行き交う人たちの笑顔、遠くで聞こえる鐘の音、風の匂い。 全てが混ざり合って、まるでこの街全体が「生きている」と語りかけてくるようだった。 ふと、自分の国のことを思い出す。 災害や分断の中でも、立ち上がろうとする人たちがいる。 再生の物語は、どの国にも、どの人にもあ...

【ヨーロッパ一周バックパッカー旅・8日目】ベルリンの壁に触れて感じた、“自由”の重さと現代の矛盾

 ### 【ヨーロッパ一周バックパッカー旅・8日目】ベルリンの壁に触れて感じた、“自由”の重さと現代の矛盾 プラハを夜行列車で出て、夜明けとともにベルリン中央駅に到着した。   列車のドアが開いた瞬間、冷たい風とともに、張りつめたような空気が肌を刺した。   ここは、歴史の分岐点となった街。   そして、自由の象徴として、いまも人々の記憶に生き続ける街。 バックパッカーとして旅をしていた独身時代。   自由を求めて世界を歩くことが、当時の自分の“生き方そのもの”だった。   でも、このベルリンで立ち止まったとき、初めて“自由の重さ”を意識した。 --- #### イーストサイドギャラリーで立ち止まる 午前中、かつて東西を分断した「ベルリンの壁」の跡地へ。   壁は、もはやコンクリートの残骸ではなく、色彩豊かなアートとして蘇っていた。   観光地のように賑わう場所でありながら、そこには静かに訴えかける力があった。 壁の前に立ち、指先でその冷たい表面をなぞる。   「自由とは何か」「境界とは何か」──。   そんな言葉が頭をよぎる。   かつて、たったこの数センチの厚みが、家族や恋人を分断した。   その事実を思うと、胸の奥がずしりと重くなる。 人間は壁を作り、そして壊してきた。   けれど、“心の壁”だけは、今も世界中に残っている。   差別、偏見、そして無関心。   SNSでは「共感」や「正義」という言葉が飛び交う一方で、見えない壁はむしろ増えているように思う。   ベルリンの壁が壊れた今も、私たちは別の形で分断を続けているのかもしれない。 --- #### カリーブルストの屋台で聞いた言葉 昼、寒空の下で食べたカリーブルストの香りが今でも忘れられない。   屋台で隣り合わせたスペインの建築学生が、こんなことを言った。   > 「壁は壊れた。でも、人の心の壁は残っている。」 その言葉に、私は何も返せなかった。   旅をして多くの国を見てきたつもりだったが、自由を“享受する側”の立場でしか考えていなかった。   ベルリンの街は、自由の裏にある「痛み」を教えてくれた。 ...