扇風機の風と、夏の記憶
扇風機の前に座ると、なんだか懐かしい気持ちになる。
クーラーの効いた部屋ももちろん快適だけれど、あの優しく回る風には、どこか「人の暮らし」に寄り添った温度がある気がする。
夏が近づくと、物置から扇風機を出すのが、ちょっとした行事になる。カバーにかかった埃を拭き、羽を丁寧に拭き取る。電源を入れたときの「ブォーン」という音が聞こえると、「ああ、夏が来たな」と思う。
扇風機の風は、どこか穏やかで、せかされない。
強風モードにしても、どこか優しい。
クーラーのように一気に冷えるわけじゃないけれど、じわじわと涼しさを感じさせてくれる。
子どもの頃、扇風機の前で「あー」と声を出して遊んだ記憶がある人も多いと思う。風が声を震わせてくれる、あのささやかな遊び。今、自分の子どもが同じことをやっている姿を見ると、なんだか時間が繋がったようでうれしくなる。
扇風機の首振りをじっと目で追いかけたり、風の向きをめぐって兄弟で小さなケンカをしたり。
そういった些細なことも、今となっては大切な思い出だ。
現代は、最新の冷風機や空調も増えて、扇風機は「補助的な存在」になっているかもしれない。
でも私は、この「自然な風」が持つ力を信じている。
夜、クーラーを止めて、窓を少し開けて扇風機を回す。
静かな羽音と、ほんのり動く風に包まれて眠るその時間が、夏の中でいちばん好きかもしれない。
便利さが進化しても、こうして「変わらずあるもの」に支えられている感覚が、日常を豊かにしてくれる。
扇風機の風にあたりながら、ふと目を閉じると、遠い昔の夏の午後が思い出される。
それはきっと、風の中に“記憶”が吹き込まれているからだ。
川滿憲忠