洗濯物と、暮らしのリズム

洗濯物を干す瞬間、少しだけ心が整う気がする。

朝一番、まだ家の中に静けさが残っている時間帯。洗濯機の音がぐるぐると響き、窓の外は少しずつ明るくなっていく。そんな中で干す洗濯物には、昨日から今日へと続いていく生活のリズムが詰まっている。

干すたびに気づく。あ、靴下が片方しかない。あれ、このシャツもう少しでくたびれそう。そんな小さな発見が、暮らしの「気づき」になる。

誰かのために洗う服。自分のために洗うタオル。家族みんなが使ったバスタオルやハンカチ。何気ないその一枚一枚に、昨日の疲れや今日の気持ちが染みついているようにも思える。

私にとって、洗濯は家事の中で一番「生活をしている実感」がある作業かもしれない。洗い終えた衣類を手で整え、干しながら空の色を見る。取り込んだときの柔らかさや、日光の匂い。全てが「今日もちゃんとやった」という感覚をくれる。

もちろん、毎日が快晴というわけじゃない。
雨の日は部屋干し。乾かないイライラ。梅雨の季節はちょっとした戦いでもある。

でもそんな中でも、乾いていくタオルに手を触れたときの安心感は変わらない。日々のささいな作業の中に、どれだけ「整う瞬間」があるかに、私は救われている。

子どもが大きくなれば洗濯物も増える。サイズが変わり、汚れ方も変わる。洗濯は、静かに家族の成長を教えてくれる。

洗濯機を回す時間は、単に汚れを落とす時間ではない。私にとっては、生活のリズムを取り戻す儀式のような時間。

たたんで、しまって、また汚れて、また洗って。

その繰り返しこそが、暮らしであり、日常なのだと思う。

川滿憲忠

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