ヨーロッパ一周バックパッカー旅・10日目|プラハの夜に感じた“自由”という名の不安と希望

 

ヨーロッパ一周バックパッカー旅・10日目|プラハの夜に感じた“自由”という名の不安と希望

ベルリンからドレスデンを経由して、列車でプラハへ向かう。
東欧という響きには、どこか懐かしい哀愁と、歴史の重みが同居している。
そして、その両方を包み込むような温かさが、プラハにはあった。
10日目の今日は、自由という言葉を改めて考えさせられた一日だった。

早朝のカレル橋で見た静寂の美

朝6時前、まだ太陽が完全に昇りきらない時間に、カレル橋へ向かった。
人気の観光スポットだが、早朝だけは静寂が支配している。
霧の中に浮かぶプラハ城のシルエット、石畳を踏む足音、そして川の流れ。
そのすべてが、まるで時間が止まっているかのように感じられた。

私は橋の真ん中で立ち止まり、深く息を吸い込む。
少し冷たい空気と一緒に、旅の実感が体の中に入ってくる。
「これが旅の自由かもしれない」とふと思った。
誰の予定にも縛られず、自分の足だけで進む感覚。
それは、不安でもあり、同時に希望でもあった。

共産主義博物館で見た“自由を求めた人々”の姿

昼過ぎ、旧市街を抜けて共産主義博物館を訪れた。
そこには、かつて自由を奪われていた時代の写真や資料が並んでいる。
笑っているはずの人々の目が、どこか寂しげだった。
それでも、そこには確かに「生きる力」があった。

映像で流れていた1989年の「ビロード革命」。
学生たちが手に持ったベルを鳴らしながら、「もう恐れない」と叫ぶ姿に胸を打たれた。
自由とは、与えられるものではなく、自分たちで勝ち取るものなのだと痛感する。
旅をしているときの、あの孤独感や不安も、自由の一部なのだろう。
誰もが自分の中で、小さな革命を起こしながら生きているのかもしれない。

旧市街広場で見た“生”の象徴

午後、旧市街広場に戻ると、天文時計の前は観光客でいっぱいだった。
鐘が鳴り、人形たちがゆっくりと動き始める。
死神の人形が鐘を鳴らすたびに、人々が笑顔でシャッターを切る。
皮肉なことに、「死」を象徴する時計が“生”の象徴にもなっているように思えた。

私はその光景を見ながら、自分の人生にも同じことが言えると感じた。
有限であるからこそ、今を大切にできる。
旅も、終わりがあるからこそ、記憶に残るのだ。

広場の片隅で、地元の若者がギターを弾いていた。
軽やかなメロディーに合わせて、周囲の人々が手拍子を打つ。
知らない者同士が、音でつながる瞬間。
それこそが、この街の持つ魅力だった。

夜のプラハ城で出会った“壊れそうで壊れない夢”

夕方、丘の上にそびえるプラハ城へ。
階段を上るたびに、街全体が金色に染まっていく。
城の中庭でバイオリンを弾く若者の音色が響き渡り、空気さえも柔らかくなる。
その音に誘われて、隣にいた旅人と自然に話をした。

「この街、まるで夢の中みたいだね。」
「うん。でも、壊れそうで壊れない夢。」
彼の言葉に深くうなずいた。
そう、プラハは壊れそうで壊れない——そんな儚い夢の街だった。

夜になると、カレル橋が再び光に包まれる。
恋人たちが寄り添い、カメラのシャッター音が静かに響く。
その光景を見ながら、私は思った。
自由とは、恐れながらも進むこと。
誰にも保証されないからこそ、輝くものなのだと。

旅の終わりに思う、自由の本当の意味

宿に戻り、窓を開けると、街の灯がまるで星空のように広がっていた。
10日目の夜。
これまでに感じた不安や迷い、そして小さな幸福の積み重ねが、
この瞬間の景色をより鮮やかにしていた。

自由とは、完璧な安心ではない。
むしろ、迷いや恐れの中で、自分の足で選び続けること。
旅は、そんな“選び続ける訓練”なのだと思う。
プラハの風を感じながら、私は静かにノートを閉じた。
この街がくれた自由の重みを、心に刻みながら。

──川滿憲忠

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