ヨーロッパ一周10日目〜20日目:慣れと孤独の中で見つけた“生きる意味
ヨーロッパ一周10日目〜20日目:慣れと孤独の中で見つけた“生きる意味”
旅の10日目を超える頃、心の中に静かな変化が訪れた。最初は刺激に満ちていたヨーロッパの風景も、次第に「慣れ」を感じるようになっていく。観光地の輝きも、見慣れてくると日常の一部に変わっていく。けれど、その“慣れ”は決して悪いことではなく、人が環境に溶け込み始めた証拠でもあるのだと思った。
この10日間は、旅が「冒険」から「生活」へと変わっていく過程でもあった。ミラノからベネチア、プラハ、ベルリン、そしてウィーン。すべての街が違うリズムで呼吸していて、そこに身を委ねながら「生きる」という行為そのものを感じ取っていた。
ベネチアの路地で見つけた“日常の美しさ”
10日目のベネチア。水上バスから降り、迷路のような小路を歩くと、洗濯物が風に揺れ、子どもたちが笑いながら駆け抜けていく。その光景を見て、「旅先にも日常がある」という当たり前のことを思い出した。
華やかな観光地の裏側には、確かに人々の生活がある。観光地としてのベネチアではなく、“暮らしのあるベネチア”を感じられたことが、心に残った。
夜、同じホステルの旅人が言った。「旅って、自分の中の地図を描き直すことなんだよ。」その言葉に深く頷きながら、運河沿いを静かに歩いた。どこかで、自分の中の古い地図が書き換わっていく音がした。
プラハで見つけた「立ち止まる贅沢」
15日目、プラハ。旧市街を歩くたびに、石畳の歴史が足元から語りかけてくるようだった。美しい街並みに圧倒されながらも、どこかで静かな安らぎを感じた。カフェでノートを開き、ただ思考を整理する時間を過ごす。それがこの旅で初めての“何もしない贅沢”だった。
「旅=移動」だと思っていたけれど、プラハで気づいたのは「旅=停滞の中にある気づき」でもあるということ。立ち止まる勇気を持てた瞬間、見える景色が変わった。
ベルリンの壁跡が語る“責任”
18日目、ベルリン。壁跡に描かれたアートの前で立ち止まった。そこには、過去の痛みと向き合いながら、それを未来へとつなぐ人々の意思が刻まれていた。
ある老婦人が言った。「過去を忘れないこと、それが未来への責任よ。」 その一言が胸に刺さった。旅をするという行為もまた、無責任であってはならない。土地の歴史を知り、敬意を持つこと。それが旅人としての誠実さだと思った。
慣れと退屈、その間で見つけた感性
旅の20日目になると、すべてのことがルーチンのように感じ始めた。移動も、宿探しも、食事も。まるで「旅の中の生活」が始まっていた。
だが、そんな慣れの中でこそ、心を研ぎ澄ますことができる。美しい夕陽を見ても「昨日と同じ」と思ってしまう瞬間があっても、それでも立ち止まり、感じようとする努力が必要だ。
風の匂い、路上の音、知らない言語の響き。それらを五感で受け止めることで、“旅をしている自分”を再び取り戻すことができた。
ウィーンでの再出発
ウィーンに到着したのは20日目。整然とした街並みと音楽が溶け合う美しさに圧倒されたが、同時に「完璧な街の息苦しさ」も感じた。美しいだけでは満たされない――そんな感情が心の奥から湧き上がった。
夜、ホステルで出会った旅人が言った。「完璧じゃなくてもいい。大切なのは、動き続けることだよ。」 その言葉に救われた気がした。旅の価値は、目的地ではなく“過程”にある。歩き続ける中で、自分が変わっていくことこそが意味なのだと気づいた。
この10日間がくれた答え
ベネチアの生活感、プラハの静寂、ベルリンの記憶、ウィーンの秩序。どの街も異なるメッセージをくれた。
「あなたはどう生きたい?」 この問いに、完璧な答えはまだない。けれど、考え続けることが生きるということだと、ようやく理解できた。
慣れの中にも発見があり、孤独の中にもぬくもりがある。旅は、終わらない問いを抱えながら進むものだ。 列車の窓の外を眺めながら、私は静かに微笑んでいた。 ――川滿憲忠