ヨーロッパ一周・最初の10日間で気づいた「自由」と「孤独」──批判を恐れず、自分の旅を生きる
「自由に生きたい」と言うと、必ず誰かが笑う。
「現実を見ろ」「そんなのは自己満足だ」と。
けれど、現実の中で息苦しさを抱えながら、心の声を無視して生きるほうが、よほど非現実的ではないだろうか。
このヨーロッパ一周の旅、最初の10日間は、そんな“自由に生きること”の意味を私に突きつけた。
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### ◆ ロンドンで感じた最初の孤独
バックパックひとつを背負って、ロンドンの空に降り立った瞬間。
心が震えるほどの高揚感と同時に、深い孤独も感じた。
誰も自分を知らない街。
誰も、自分のことを気にしない世界。
それは怖くもあり、心地よくもあった。
ホステルの小さなベッドで夜を迎えたとき、「自由には孤独がつきものだ」と悟った。
夜、パブで知り合った旅人たちは、それぞれに理由を抱えて旅をしていた。
夢破れた者、人生に迷った者、何かを取り戻したい者。
話すうちに分かったのは、彼らが「逃げている」のではなく、「探している」ということだった。
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### ◆ パリで出会った“他者との境界線”
ユーロスターでパリに移動し、モンマルトルの坂を登る。
街全体がアートのように見えた。
でもその美しさの裏に、人の孤独が見えた。
カフェで隣に座った老紳士がこう言った。
「自由とは、自分で責任を持つことだ。だから人は怖がるのさ。」
その一言に、胸の奥が熱くなった。
旅の途中、何度も自分に問うた。「この選択を誰のせいにもしていないか」と。
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### ◆ スイスでの静寂
スイスに入ると、世界が静まり返った。
アルプスを見上げながら、何も考えずに息を吸う。
「自分がここにいる」という実感だけが残る。
その瞬間、SNSも、他人の評価も、まるで無意味に感じた。
人に“いいね”をもらうために生きてきたわけじゃない。
この空気を吸うために、私はここにいるんだ。
そう思った。
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### ◆ 「旅は逃げ」だと言われたことがある
よく言われた。「現実から逃げてるだけだろ」と。
でも、逃げることと“離れてみること”は違う。
距離を取ることで見えてくる現実もある。
自分の国、自分の働き方、自分の小さな価値観。
それらがどれほど限定された世界だったか、旅をして初めて分かった。
逃げているんじゃない。
ただ、見たかっただけなんだ。自分の目で。
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### ◆ イタリアで見た“生命力”
10日目、ミラノの路地で食べた一切れのピザ。
ただの昼食のはずが、涙が出るほど美味しかった。
それは「生きている」ことを全身で感じられた瞬間だった。
人々の笑顔、陽気な声、街を満たすエネルギー。
そこに「正しさ」なんていらない。
ただ、自分の心が動くことを大切にする。
それこそが、私がこの旅で見つけた“生きる感覚”だった。
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### ◆ 自由は誤解される
「自由に生きる」と口にすると、必ず批判がくる。
「わがままだ」「責任感がない」と。
けれど本当の自由は、誰かを傷つけることではなく、
“誰かに支配されないで生きること”だ。
自由に生きるには覚悟がいる。
孤独も、失敗も、すべて自分の責任として受け止める力。
旅の中でそれを痛いほど学んだ。
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### ◆ この10日間が教えてくれたこと
誰かに理解されなくてもいい。
誰かに認められなくてもいい。
それでも「自分の足で生きる」と決めたとき、人生は静かに動き出す。
旅はただの非日常じゃない。
生き方を問い直す“現実”そのものだ。
10日間のヨーロッパは、私に「自由とは孤独の先にある幸福だ」と教えてくれた。
そして今も、その教えは人生の中で息づいている。
この旅を「意味がない」と笑う人もいるだろう。
でも、私は自分の目で世界を見た。
その経験は、誰にも奪えない。
──川滿憲忠