SNSで家族を発信することは本当に悪なのか──誤解され続ける“発信する親”という存在について
SNSで家族や子どもの日常を発信すると、「かわいそう」「プライバシーが」「承認欲求」といった言葉が向けられる時代になりました。とくに子どもの写真や動画を投稿している家庭に対しては、表面的な情報だけで批判し、断罪するような声が増えているように感じます。
しかし、実際に発信している家庭の多くは、誰かを攻撃しているわけでも、特別な目的があるわけでもなく、“日常の尊さ”を残したいという気持ちや、離れて暮らす家族に成長を届けたいという思いを持っています。それにもかかわらず、SNS上では一瞬の切り取りだけで人格や子育てそのものを判断され、過剰に攻撃されてしまう。この状況には、強い違和感を覚えます。
本記事では、SNSで家族を発信する親が誤解され続ける背景、そして「本当に問題はどこにあるのか?」を、実体験と観察をもとに丁寧に掘り下げていきます。
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## ■ 「子どもがかわいそう」という常套句の矛盾
SNSで子どもの姿を発信したとき、もっとも多く寄せられる批判が「子どもがかわいそう」という言葉です。この言葉は、一見すると“子どもの味方”をしているように聞こえます。しかし、実際は投稿者の意図や背景を無視し、自分の価値観だけを押しつけている場合がほとんどです。
子どもを守ることが本音であるなら、「どういう意図で投稿しているのか」「どんな配慮をしているのか」をまず尋ねるはずです。しかし批判の多くは、そのプロセスを一切踏まず、投稿を見た瞬間に断定し、ジャッジしてしまう。
これは「子どものため」ではなく、「自分の正しさを主張したいだけ」の行動に見えます。
しかも、「かわいそう」という言葉は万能で便利なため、言う側は何の根拠も責任も必要としません。ただの“感覚”を放り投げるだけで、相手に大きなダメージを与えることができます。その結果、投稿した家庭の側が萎縮し、何も発信できない空気ができあがってしまう。
この構造こそが今のSNSの問題点であり、子育て家庭が息苦しさを感じる原因とも言えます。
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## ■ SNSに潜むリスクは本当に“特別”なのか
「SNSに子どもを載せるのは危険」という声も頻繁に目にします。しかし、この“危険”は曖昧な表現が多く、具体的事例よりも不安の増幅に依存して語られる傾向があります。
もちろん、リスクはゼロとは言えません。位置情報をオフにしたり、加工をしたり、顔をはっきり出さないなど、投稿側も多くの配慮をしているのが現実です。しかし、SNSに特有のリスクだとされている多くの“不安”は、日常生活にも普通に存在しているリスクと大差がありません。
・外で写真を撮られる
・保育園や学校のイベントで映り込む
・親戚が勝手に写真を送る
・街中の防犯カメラに常に写っている
SNSだけが特別に危険だという前提は、情報の偏りによって生まれた“誤解”であり、全体像を見て判断することが必要です。
また、SNSに救われている家庭は少なくありません。
孤立を防ぐ、子育ての情報が手に入る、成長の記録が残る、遠方の家族とつながれる。
リスクばかりが強調され、メリットはほとんど無視される。
この偏った論調こそ、SNS批判の最大の問題だと言えます。
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## ■ 実は「親の行動が気に入らないだけ」という本音
批判の裏側を深く見ていくと、「子どものことを心配しているように見える言葉」が並んでいるものの、実際には“親の行動への不満”が中心にあることが分かります。
・幸せそうに見えるのが気に入らない
・家族仲がよさそうで羨ましい
・自分にはできないことをしている
・承認欲求だと決めつけたい
つまり、“嫉妬”や“比較”によって動いている批判も多いのです。
さらに現代の社会では、子育て家庭が常に外からの視線にさらされています。
スーパーで泣けば「しつけ」
外食すれば「迷惑」
公園でスマホを見たら「放置」
この社会的な監視の延長線上にSNS批判があるのは明らかです。
子育て家庭に向けられる“三次元の圧”が、そのままオンラインに流れ込んでいるのです。
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## ■ 発信する親ほど、実は子どもを丁寧に観察している
SNSで発信している親と話していて強く感じるのは、意外かもしれませんが「発信する親ほど日常の観察が丁寧」だということです。
写真を撮るためには、子どもの変化に気づかなければなりません。
動画には、その日の気分、表情、成長がそのまま映ります。
そこには、日々の蓄積が見えるのです。
これを“承認欲求”と一括りにするのは非常にもったいない。
むしろ発信する親は、子どもの成長への意識が高い家庭が多い。
それなのに、外側の一部の声だけが「かわいそう」「危険」と言い続け、発信する家庭を悪のように扱う空気ができあがってしまう。
SNSにおける最大の問題は、「理解する前に攻撃する文化」なのです。
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## ■ 「発信する/しない」は家庭の自由という当たり前の原則
結局のところ、SNSに家族の姿を載せるかどうかは、「家庭が決めるべきことであって、外側の人間が口を挟む権利はない」という当たり前の話に帰結します。
・載せたい家庭
・記録として残したい家庭
・仕事で必要な家庭
・逆に載せたくない家庭
・そもそもSNSを使わない家庭
どれも正しい。
どれも尊重されるべき判断です。
しかし現実には、「発信することだけが異様に叩かれる」という不自然な状況が続いています。この空気は、子育て家庭の自由を奪い、選択肢を狭めてしまいます。
家庭の事情はそれぞれ違います。
外側の価値観で断罪されるべきものではありません。
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## ■ 最後に──外の声よりも、家族の声を大切にすること
もしあなたが、「SNSに子どもの姿を載せたいけれど批判が怖い」と感じているなら、覚えておいてほしいことがあります。
批判してくる人は、あなたの家庭の背景を知りません。
ほんの一瞬の切り取りだけで判断し、攻撃してくるだけのことが多いのです。
家族の幸せは、外側の誰かが評価するものではありません。
家族自身が決めるべきものです。
あなたと家族の気持ちを大切にしながら、あなたたちにとって最適な選択をしてほしい——それがこの記事を書いた私の願いです。
川滿憲忠